08出雲大社 特別拝観と神社巡り ;楽しきもの
2008/10/01 up    
出雲大社 特別拝観と神社巡り
2008年 8月1日(金)~3日(日)
60年ぶりの大遷宮を迎えた出雲の社
今春に神体が遷(うつ)され、一般人にも昇殿の機会が与えられた。
『おそらく一生に一度…』  笛吹きの彼女と 『いざ、出雲へ』
枠 は、クリック→ポップアップ画面で拡大します
自宅から出雲までは直線で約670km。
行き方を色々考えたが、行き当りばったりの行動が多いので、結局自走する事にした。
高速道路は順調に山陰に到る。 蒜山SAで十分睡眠を摂れたので体調も万全だ。
神々の首都 平面略図

一日目
美保神社 ~ 華蔵寺 ~ 松江 ~ 八重垣神社 ~ 熊野大社 ~ 神魂神社 ~ 古代出雲歴史博物館 ~ 日御崎 ~ 稲佐ノ浜 ~ 多岐
美保神社
 鬼太郎ブームに沸く境港の町を抜け、境水道を渡れば美保ノ関だ。
美保ノ関は国引き神話国譲り神話の舞台として古代から登場する地で、朝鮮半島や環日本海交易の拠点として栄えた。
そして其処に建つ美保神社は、出雲風土記にも記載される古社である。
 朝日に照らされる、入り江の港 猫の額ほどの小さく質素な港だが、その海は深い碧色
初めての場所なのに、どこか懐かしさを覚える美保関の港。
明治24年 小泉八雲は蒸気船で美保関を訪れた。 我々も八雲が降り立った港に車を停めよう。
 美保神社は、現在全国3千余のゑびす社総本社。    - 蛭子系のえびす社の総本社は西宮神社 -
七福神となったゑびす様は、出雲大社とあわせて 「出雲のえびすだいこく」 と称され、商売繁盛のご利益を得ようと両社を参る方も多いと聞く。
冬の風から守られるように、三方を山に囲まれている美保神社の社殿。
本殿は独特の造りで“美保造”と呼ばれ、大社造の社殿を2棟を並列に置き、
その手前に屋根続きで拝殿を兼ねた舞殿が建つ。
社殿は羽を広げ舞う鳥のようで美しい
並列する二つの本殿
奥左殿には三穂津姫、手前右殿に事代主
元は大和;葛城の神だった事代主は、
朝廷の都合で三穂津姫の神社に
同居させられた_と、解釈される。
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美保神社 鳥居をくぐって振り返る
備前でしょうか?
見事な陶の狛犬
美保神社の祭神;事代主=ゑびす様は、倭に国を取られるか否かの一大事に、
美保でのんびり釣りをしていたという神なので、自分は大物釣り祈願。
 彼女はさっそく一曲吹く
ゑびす様は鳴り物好きの神様でもあり、楽器の奉納も多いと聞く。
フサフサの御幣 一枚の紙から生じる
『神の国に来た』
天然草木染めだそうです
月ごとに取替えられる月次御幣(つきなみごへい)
月毎に色組が定まっていて、その色は季節の
草木の色目に托する
『なんて素敵な発想でしょう!』
中身はピカピカのコイン
ゑびす様の福種銭
一粒万倍のご利益だそうだ
漁師さんには青柴垣(あおふしがき)神事で使う、
波剪御幣(なみきりごへい)が人気だ
美保神社の社紋は二重亀甲に三の字
「美保」は「三保」でもある。
日供は9:00から
舞殿で神饌を供える儀式に続いて、巫女舞が始まった
今日は一ノ日だから月始の祭かと思ったが、
美保神社では毎朝夕(!)巫女舞が奉納されるそうです。
朝は日供(にっくう)、午後は夕御饌(ゆうみけ)と呼ばれ、
祝詞奏上と巫女舞が奉納される。
美保神社の巫女舞は、真の神楽・八乙女の舞とも言われ、
古い形の舞を今に伝えるそうです。
スクナビコがオオクニヌシと出会うのも美保の岬
【 境内に祀られていた玉石 】
古来、海の民は海からもたらされるモノを神として祀っていた
それは海の幸だけではなく、南から流れ込む対馬海流が運ぶ
浜に打ち寄せられた浮遊物や海中の石なども対象だった。
いつしかそれらの信仰が“ゑびす様”に繋がっていく。
未知の世からの来訪神=ゑびす様
そういえば、1992年 美保関の民家に隕石が落ちた。
あれも宇宙からのゑびすなのカモしれませんね
雨に濡れた石畳は、うっすらと青色になるといふ
美保神社と仏谷寺を結ぶ青石畳通り
好い雰囲気だが、まだ店は開いてない
描きたい景色ですね
湾口の先に海越しの伯耆大山を望む

華蔵寺
 朝イチから濃厚に神の国を魅せてくれた美保神社をあとにする。
中海の北から枕木山を登る道は、舗装は成されているものの、民家は見当たらず他の車は一台も走っていない山道となった。
 『もうすぐ頂上』で華蔵寺参道口と思われる場所が現れ、そこに車を突っこんだ。
参道口には小さな茶店が朽ち、枝を掃った木杖が無造作に沢山準備されている。
車外は既に夏の暑さだし、目指す華蔵寺の参道は長い石段ではじまる。  『遠いのかしら』 下駄履きを不安に思いながら参道を登りはじめた。
幸い 参道は古樹に被われたハイキングコースの様で、大汗するようなコトは無かった。 点在する史跡を覗きながら枕木山の頂上を目指す。
僅かに朱が残る
運慶作と言われる金剛力士像
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鬼門封じの不動明王
石段交りの参道を15分
苔むす素敵な参道
我れらも喉を潤しました
岩間から湧く“杉井の霊水”は、
亀山法皇の病気を癒したという
 視界が開け、今までの参道からは想像できないほど、大きなお堂や立派な門が立ち並んでいる。
華蔵寺は臨済宗南禅寺派の古刹だ。
開創は天長2年(825)とされ、鎌倉時代に禅寺として再興、室町時代には名刹として隆盛を極めた。
戦乱兵火で一時衰退するが、1607年 松江城築城の際、城の北東に位置する枕木山/華蔵寺を鬼門封じの祈願寺とし、
以後 寺は歴代城主に庇護された。
立派な四脚門なのだが…
桜門
しかし再び、、、ぱっと視でも御堂の大屋根、
柱や漆喰壁の痛みが目につく状態だ。 ご住職が、
「檀家さんは居ないので、寺の事すべてを自分でやらねばならない」
庭の掃除をしながらおっしゃた。
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すばしっこい奴 みっけ!
山陰一の絶景と称される
標高456mの枕木山の山頂
中海に浮かぶ大根島がよく見える

松江でランチ
 ちょっと早いが松江でランチとする。 松江の街中は、フェーン現象の熱波で、平日の日中に歩く人影は少ない。
メインは肉と魚を選べます
この品数で全て手作り
デザート・Coffeeも付く
前もって彼女がチェックしておいてくれたのが
和食酒房 香月
1日25食限定の和らんちプレートを頂くため、
開店と同時にのれんをくぐった。
+300円で
+αで七種盛デザートに変更可
恵まれた松江の食材を、丁寧かつ凝り過ぎず、
好いあんばいに手を加えた料理。
ほんとうにコノ値段でいいのでしょうか。

八重垣神社
 「いざさら ばいざさらば 連れて帰らむ佐草の郷に」 イナダヒメを迎えるスサノヲの喜びの歌は、今も出雲神楽に伝わる。
佐草の郷は、現;東出雲町=古代出雲の中心だった地だ。
お参りされる方は途切れません
今日は末社;山神神社の夏祭り
出雲国造の紋だ
近世、八重垣神社は意宇六社となる
故に社紋は二重亀甲に劔花菱
この神社で古代を説くのは野暮というものだ

八重垣神社は鏡の池での恋占いで有名です。
コインを載せた紙を池に浮べ、沈んだ場所と
時間によって縁を占う。
急いで身近での良縁を望む方は、
重たい500玉がイイノカモ_
みなさん占い好きで
鏡の池で恋占い
本殿よりコッチの方が 「イナダヒメおわす」だ
佐久佐女の森 
前回訪れたのは早春だった。
『今回はちゃんと逢えたね』
アカハライモリ♪
占った紙の上をヤモリが横切って泳ぐと、
“ちょー吉縁”に恵まれるそうですよ。

熊野大社
 道に迷いながら尾根越えで、たどり着いた熊野大社。
神社前の清流;意宇川のおかげか、白い玉砂利が敷き詰められた境内に爽やかな風が抜け、いっとき真夏の暑さを忘れさせてくれる。
熊野大社の裏は“蛇山”だ
朱欄干の八雲橋を渡り熊野大社へ
立派な太注連縄だ
ここも左綯い
白玉砂利で禊がれる
熊野大社 舞殿
 ここ熊野大社も出雲大社と同様に“大社”だ。
平安時代までは、出雲大社よりも熊野大社の方が格上の神社で、有一、出雲国一ノ宮だった。
熊野大社は、火の発祥の神社として“日本火出初之社(ひのもとひでぞめのやしろ)”とも呼ばれ、毎年10月15日に
出雲大社から出雲国造が訪れ“古伝新嘗祭”に使用する火鑽臼(ひきりうす)と火鑽杵(ひきりぎね)を
熊野大社から受け取る亀太夫神事が行われる。
 また、出雲国造代替りの際に行われる火継式(神火相続式)も、熊野大社からの“火”を受け継がねばならない。
この火継ぎの神事は、国造が帰幽すると、新しい国造は喪に服す間もなく潔斎を行い、火燧臼と火燧杵を持って熊野大社に参向する。
そして熊野大社の鑽火殿にて、持参した臼と杵によって火を起こし、鑽り出された神火によって調理された食事を熊野大社神前に供え
同時に国造自らも、それを口にする。
火継式の“火”は“霊(ひ)”であり、その火をもって調理されたものを食べることによって、天穂日命以来代々の国造の霊魂を自らの中に
取り込む儀式とされている。
亀太夫、亀甲紋 亀甲ト占か?
一重亀甲に大
神歌と琴板の楽だそうです
亀太夫神事で歌い舞われる百番の舞
よいしょ~
相撲も、かつては神に供えるモノでした
 紀伊熊野三山元津宮とも伝わる出雲熊野大社の祭神は熊野大神櫛御気野命
スサノヲの別名だが、本質は記紀の素盞嗚尊というよりも、出雲の開祖的な神須佐能袁命(カムスサノヲノミコト)のようだ。
出雲においては、帝よりも神格されていた出雲国造。 その国造が、礼せねばならぬ神だ。

神魂神社
 火継を追って、大庭の里;神魂神社(かもすじんじゃ)へ。
現在の火継式は熊野大社で行われた後、神魂神社において饗宴だけを受ける順路なのだが、維新前において、古伝新嘗祭・火継式は
神魂神社で執り行われていた。 熊野大社は神火を熾す火鑽臼と火鑽杵を準備する役目だったそうだ。
 祭神はイザナミ・イザナギ 混沌から日本列島を創った神。 社殿は出雲大社よりも400年は古いとされる日本最古の大社造り。
これだけ重要な神社だが、なぜか出雲國神仏霊場には加わっていない。
前回訪れた際には、参拝者は一人もおらず、“神坐所”の厳鎮な雰囲気だったが、
今日は -自分たちもそうなのだが- 出雲大社特別拝観の影響か参拝者が多い。
 『これぞ神社』 擦り減り、ガタガタの石段
素敵な竹柄杓 神魂を「カモス」と読む。
神坐所 → カンマス → カモスが定説だ
よもや賀茂氏とは直接関係あるまいて
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出雲;神有月の旧暦十月十一日に全国の神々は、此処 神魂神社にも集まり、母なる祭神:伊弉冊大神(イザナミ)を奉る。
ちょっと屋号のような紋ですが…
社紋の二重亀甲に有は “十 + 月”を表すという。
「神社が多い出雲で神様が迷子にならないよう」にの配慮だそうだ。
大社造の容は、天地根源を表すという
本殿内天井には九重雲(!)が描かれているという
 東出雲で熾された神火は、出雲大社で奉告の儀式を行い、火継式は終了する。
神火はその後 出雲大社斎火殿にて、国造の生涯保存され、国造は在任中この神火によって調理したものを食べる
国造以外は家族であってもこれを口にすることは許されない。
 我々も出雲大社に向かいましょう。 しかし、大庭から杵築 新しく伸びた高速を使っても一時間はかかる。

県立古代出雲歴史博物館
 我々が出雲大社を拝するのは明日だ。
まずは、前回訪れた時はオープン直前だった県立古代出雲歴史博物館を見学させていただきましょう。
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デジタルパースのようでしょ
雲を貫く雲太 勾玉のオブジェ
ガラスを外壁に多用した近代的な博物館は、出雲大社に並ぶように
八雲山の麓に建ち、懸命に自然の中に溶け込もうとしている。 
今風としては合格点だが、所詮 出雲大社には敵わないようだ。
常設展示は、誰もが解りやすいよう出雲の歴史を、出雲寄りの
視点で丁寧に紹介されているのは好感が持てた。
でも、特別展が 「聖地★巡礼—自分探しの旅へ—」って。。

日御崎
神霊の行幸路で稲佐ノ浜に出て、海岸線を北へ。
夕焼け狙いで日御崎に向うが、まだちょっと早すぎたようだ。
どこか物悲しい経島です
経島へ
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日本海の日没に
前回訪れた際には、ウミネコに覆われていた
経島(ふみしま)も、今は一羽の鳥も居ない。
経島のつけねには日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)
伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は
「日の本の夜を守れ」 との命を受けた日沈の宮だ。

稲佐浜
Please click !  結局、稲佐ノ浜で日が没するのを拝む。
遅い海水浴客も、もう帰り支度の時間で静かなものだ。
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 神有月、全国の神々は、この浜から出雲入りする。
丁度その時期、海は冬の来訪を知らせるように荒れはじめ、
稲佐ノ浜には南方系の海蛇:セグロウミヘビが多く漂着する。
人々はこの海蛇を神々の先導役とみなして龍蛇神と仰ぐ。
弁天島がシルエットとなり、陽がにじみだす
乱れた夏雲の黄昏だ

多岐
まぁまぁカナ~
いちじくソフト
 すっかり暗くなった頃、いちじくの湯
海水浴あがりの子供がハシャグが、広々した湯は
源泉掛け流しの優しい湯で、二人ともすっかりさっぱり。
こちらは美味しかったです
朝食のいちじくアンパン
 多岐の名産は無花果だそうだ。
無花果は大好きなのだが、多岐での旬は9月。
残念ながら生は 『まだ、ちょっと早い』
風呂あがりの “いちじくソフト” で我慢しよう。
 さて、併設するレストランは閉まってしまった。 食事場所に困る。
国道9号をどんどん下る が、大田まで店が無かった。
再び多岐に戻り、今夜はキララ多岐:道の駅で車泊です。

二日目
~ 須佐神社 ~ 荒神谷 ~出雲大社 ~ 佐太神社 ~ 月照寺 ~ 松江 ~宍道湖 ~ 玉造温泉 ~ 米子
須佐神社
 前回も多岐で車泊し、翌朝 須佐神社を巡った。 今朝もおんなじ行動をとる。 違うのは、出雲大社昇殿に備えて襟付きのシャツを着るコト。
車で20分 須佐神社に到着。 まだ誰も拝していないので、笛を奉じる彼女 須佐の杜は笛音の響きも好いようだ。
スサノヲのに対面する天照社の傍らに、なぜか龍蛇神が祀られていた。
立派な大社造りの社 笛の音も木霊返す 大樹に囲まれる須佐神社 これも龍蛇神? 龍蛇神
7:00には須佐神社にて笛を奏でていました 天摩する大杉は1200年の樹齢 なんで龍蛇神が天照の横に?
須佐神社の社紋  社紋は二重亀甲に蔓柏(つるかしわ)。
柏の葉は太古、米蒸しの道具や、食べ物を盛る器に用いられた。
朝廷の食膳を司る役人を膳夫(かしわで)とも呼ぶのもここから来ているそうだ。
拍手(はくしゅ・かしわで)も“柏手”と書くことがあるので、
これらは神への神饌を意味していたのかもしれない。
祭神のスサノヲ  熊野大社で熊野大神櫛御気野命と呼ばれた御気神だ。
 今日は、出雲大社昇殿に時間を合わせて行動しなければならない
でも、まだ社務所が開かない…

荒神谷
 須佐神社の社務所が開くのを待ちきれず、赤茶色の斐伊川を渡って荒神谷へ。
 出雲カンナビ山のひとつ仏経山の麓に刻まれた荒神谷はに埋め尽くされていた。
と言っても、花の盛りは過ぎてしまったようで、だいぶ散華してしまっている。
それでも午前中に訪れたおかげで、甘いミントの香りを楽しめるし、花に代わって大きく膨らんだハチスも好い。
荒神谷の蓮は、自分たちの地元で咲く蓮と同じ大賀蓮の遺伝子を持つ古代蓮だ。
『おっ!』 浮ぶ蓮葉の上にチョコンとトノサマガエル 水面に顔を出すヤツもいるぞ!
荒神谷の大賀蓮
Please place pointer.
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 『そうそう遺跡ね』 すっかり寄り道してしまった。
遺跡は昨日、歴博で学んだ通りです。
荒神谷は、日本古代史にセンセーションを起こした弥生時代の遺跡だ。
1983年、広域農道建設にともなう遺跡分布調査中に須恵器が拾われる。
はたして翌年、谷あいの斜面を発掘調査したところ、4列に並んだ同形の銅剣358本が出土した。
この時までに全国で見つかっていた銅剣の総数が300本余り。 それを上回る銅剣が
一度に発見されたのだ。
その後、同じ谷で銅鐸6個と銅矛16本も同時に見つかり、さらに、荒神谷遺跡から南東約3.4kmの
加茂岩倉では、39個という大量の銅鐸も出土する。
 これらの発見前に出雲では青銅の遺物は、まったく発見されていなかった為、
「出雲は神話の国、あまり研究には値しない。」 としていた学者は考えを改めるしかなかった。
荒神谷遺跡 発掘跡
Please place pointer.
 狭い谷の奥、急な南斜面に銅剣・銅矛や銅鐸は埋まっていたようだ。
当時の銅剣・銅矛は武器として使用した訳では無く、神宿る祭器だったそうで、
 「銅鐸が神を呼ぶ鐘であったのに対し、銅剣や銅矛は悪霊を祓うものであった」という説が有力です。
祭器は次のマツリまで此処に埋められたのか、水湧く谷の精霊に願いをかけたのか、
それとも倭に追われ、やむえず隠したのか_
子供の頃ワクワクして読んだシュリーマンの伝記を思い起こす。
荒神谷遺跡は偶然に発見されたモノだが、やはり神話は語り継がれた実話なのだ。
レプリカの銅剣は黄金色  銅鐸_の車止め

出雲大社
 素人考古学者きどりも最高潮に盛り上がったところで、いよいよ今回のメインイベント;出雲大社へ向かう。
しかし車は、勢溜のT字路から大渋滞。 『このままでは、昇殿前に出雲そばが食べられないじゃな~い!』
みごと、地元人しか使わない裏道をカンナビで抜け、駐車場正面へ出た。  『よしよし 時間は十分あるゾ』 
三色割子
今回も駐車場横の八雲 東店
ここの蕎麦は八雲山の石清水で打つそうだ。
なめらかな蕎麦に甘いタレとモミジおろし。
出雲そばは啜らずに、モグモグと舌で味わう
一度、正面に回りました  出雲大社が雲太だった平安時代、この辺りから本殿にあがる階段があったそうです
広大な出雲大社も人・ひと・ヒト
一応、今までの拝殿でも拝める
正確には、こちらは仮拝殿 今までの拝殿が御仮殿
大黒さまの仮住まいも西を向く
剣・鏡・玉を表すといふ
もちろん二重亀甲に劔花菱
出雲国造の紋
 人の多さに驚きながら拝殿横に臨時設置されたテントへ。
四月にも同様の特別拝観が行われたが、その時は長い昇殿待ちとなり、具合の悪くなる方もいたようだ。
我々が拝したこの日、昼前で気温は35℃近い。 こんな炎天下の場所で何時間も入場待ちをしていたら、
健人でも倒れてしまう。
と言う訳で、大社側も整理券を発行した。 自分たちは郵送にて手続き済みだ。
おまけに待合所にはテントに椅子、水サーバーが用意されていたので、事無く静かに待つ。
さすがにドキドキだ。
八足門から、いよいよ!!

おかげさまで
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出雲大社 特別拝観
 八足門の意匠、整列した玉石、自然材を超越している太い柱、それに支えられた巨大社…
 『おおっ古い柱の跡!』 眼が、考えが泳ぎっぱなし。
『とりあえず昇殿だ。』 急な階段を昇る 床材の板ですら、驚くほど厚く広く長い。
 反時計回りで本殿周囲の高回廊を一周する。 御神体の八雲山がきれいな円錐を観た。
囲まれる瑞垣を眺め、やっと自分達が昇殿している事を実感できる。
 そして雲太の天井画を観る。
出雲大社 八雲之図
 『なんと艶やかな彩色!』 とても250年前の絵とは思えない八雲之図
上の図よりも実物の雲の彩は、もっと明るく、まるで今描いたアクリル画のように艶やか。
しかも磨かれた薄飴色の木目に描かれているので、いっそう雲が浮き出て見える。
 地味色に見られがちの日本の神社だが、かつてはどこの神社も内外が極彩色に彩られ、神の存在を強調していたのだ。
 現在の八雲之図は、延享元(1744)年の造営遷宮に際して描かれたモノだが、記録によると、それ以前の本殿天井にも
同様の図が描かれていたが、最初に描かれた時期や意味などは分からない。
ただ、下段中央の最も大きい雲は「心の雲」と呼ばれ、唯一の黒雲の部分に「心入れ」という秘儀で
「天下泰平・国土安穏・朝廷宝位・仁民護幸給」などが祈られたと伝えられている。
 “八雲之図”と言われるが実際に七雲しか描かれおらず、一雲だけ逆を向くなど、興味津々      - 上の図にポインタをのせてみてください -

特別拝観を終えて
前回、出雲大社を訪れ、 『 ハーンは外国人として初めて昇殿参拝を許されたが、自分のような一般人は、今でも瑞垣の外から
眺めるしかない。 本殿の戸は閉じられていて、60畳分の広さと言われる本殿内部は覗き見ることもできない。.』 と記した
神が留守中とは言え、自分もハーンと同様に昇殿したのだ。
『全てを観てみたい』 と思いながらの昇殿だった。 生涯二度と観ることの無いモノと景色を数多くの見たような、
しかし結局何も見得なかったような_ これが“神のモノ”と言うものなのでしょう。
特別な拝観料はありませんでした
『見たぞ!』
Please click ! 北からの本殿
こちらも沢山の参拝者でした
スサノヲの社
ぐるりと瑞垣の外を回る
本殿の高回廊のには、昇殿を果たした人々でいっぱいだ。
しばらくの間、神有月の集いには使えない Please click !
前回行われた大遷宮は、1948~53年だった。
出雲大社の大遷宮は約60年周期 この時間は、木や萱の耐用年数と木の成長から導き出された時間であろう。
伊勢の宮は大遷宮時、敷地も宮も一新されるが、出雲大社の大遷宮は現存の殿の修理だそうだ。
今回も本殿の屋根や縁周の交換・修理が中心と言われている。
平成25年5月にオオクニヌシは殿に戻る。 その時には新しい本殿を観に行かねばなるまいて。

来間屋生姜糖本舗
歴史あり  杵築を離れ、松江方面へ
宍道湖の北を行くつもりだが、途中の平田町に立ち寄る。
おみやげの来間屋生姜糖本舗の生姜糖を買うのだ。
 この辺りは木綿街道と呼ばれ、宍道湖にそそぐ船川を水路として利用した
荷運びの市場町として栄えた。
江戸末期から明治初期にかけては、良質の木綿として“平田木綿”が、
大阪や京都で高く評価され、木綿の集散地として発展した。
現在も蔵や商家が運河のほとりに建ち並ぶ情緒ある景観が楽しめるそうだ。
     残念ながら、今回はゆっくりできなかった。 『次回はかならず。』
食べやすい個別包をおみやげに

佐太神社
 宍道湖の北を走り、松江の街に入る手前で佐陀川に沿って北上して、サルタヒコの社へ向かう。
佐太神社は出雲カンナビ山のひとつ、朝日山の麓に建つ出雲二ノ宮だ。 
  主祭神の猿田彦大神は、出雲国風土記によると、ここからほど近い加賀の潜戸(かかのくけど)が生誕地とされている。
猿田彦大神は、記紀では天の八衢(やちまた)で天祖降臨の道案内を請負、のちにアマノウズメと一緒に伊勢に渡る。
 サルタヒコは複雑な神格を持つ神だ。
導きの神・旅人の神は勿論、アマノウズメとの仲から、道祖神岐の神・辻の神とされたり、
「目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝く」姿から、天照大神より古い太陽信仰の神、また「鼻長八咫、背長七尺」という記述から、
天狗の源ともされ、江戸時代には猿の字からから庚申講と結び付けられたりもする。
本殿は、大社造りの殿が三つ並列する造りで、この本殿三社に十二もの神々を祀っている。
祀り神の多さに 『出雲は、やはり神々の首都なんだなー』 と思う。
洒落た紋ですね
日陰でゴメンナサイ。。

これも 厳藻(いづも)かけなのでしょう
正殿の紋は扇の地紙
宝物の彩絵檜扇ではなく、
「佐太ノ龍蛇神の尻尾には扇形の神紋がある」が由来のようだ
今も古代に出合える出雲でも、最も古式の神在祭(じんざいさい)を受け伝えている佐太神社。
神有月、出雲に集まった全国八百万の神々は、諸々のご縁についての神議る。
出雲の人々は神々のお話し合いの邪魔をしてはならいと、この時期、忌み謹んで静かに暮らす。
そして神送りの日には小豆雑煮を供える風習があるそうだ。
これを神在餅(じんざいもち)と呼び、“ぜんざい”のはじまりとされている。

月照寺
Please click !  そのまま松江に入り、小泉八雲が愛した月照寺へ。
木漏れ日の散歩道、匠の木彫りそして石の大亀
松江藩主松平家歴代の菩提寺は、前回訪れた時と同じ静かな境内で迎えてくれた。
西の左甚五郎と言われた小林如泥作
見事な葡萄の透し彫り
斉斎公の好物は栗飯と風呂吹大根
鷹殿と呼ばれた九代斉斎公

松江 和菓子
不昧公はずんだでした。
マスカットと不昧公
大名茶人として知られる不昧公ゆかりの松江は
和菓子の街としても全国的だ。
稲垣製菓団子を頂こう。
素材風味を生かした手づくりの団子は、
団子といえども品が良い味でした。
ズキンとしない、優しい氷でした
宇治金時+抹茶ソフトも 
三英堂 風流堂 桂月堂 彩雲堂
残念ながら焼き菓子を土産に少々買うだけで、
美味しそうな生菓子は、今回は眼で味わうだけだ。

宍道湖の夕日
東京湾より波がある
今日の宍道湖は、なみのりができそうだ
お御約束の宍道湖の夕日
今回も、ほとりの島根県立美術館で見物だ
嫁ヶ島の左の山影が杵築だ
夏は日沈の方向が、だいぶ北寄りとなる
この子は三番目カナ
アカネに染まった
Please click !
宍道湖の夕日を観て跳ねる
汚れていたので、拭いてあげました
縁結びウサギ

鯛めし
 今夜のごはんは、最近銀座にも出店した鯛めしの老舗皆美館。 その味は、小泉八雲や島崎藤村も口にしたそうだ。
出雲の道路は高速道路やバイパスの整備中。 お店は高架の下だった。 一旦行き過ぎてしまう。
不昧公は、汁かけ飯を好んだそうだ 茶漬けなのに雅だ
鯛のそぼろ、卵白・黄身を、おろしや海苔、
ワサビの薬味をご飯に載せて、出汁を注ぐ
この出汁が、なんとも繊細で美味しかった。
これだけでも美味しそうデス サラサラっと
彼女は鰻まぶし
さらしネギと海苔を混ぜた“まぶし”でも、
出汁のうな茶漬けでも
川魚の嫌味も出ずに美味しかった。

玉造温泉
足湯はめちゃくちゃ熱い~  神様も集い浸かると言う玉造温泉は、夏祭りの最中。
温泉街の中央を流れる玉湯川は提灯にてらされ、特設のカラオケステージが賑っている。
日帰り温泉ゆ~ゆへ。
温泉街に合わない近代的な外観、迷路のような内部、イマイチしゃんとしていない湯質
 『まぁ、昼間の汗は流せた』  から上がると、マツリも終わっていた。
 明日は朝から大山だ。 今夜のうちに伯耆の国に入っておこう。
米子には“道の駅”が無いので、一旦高速に乗って大山PAで車泊する。

三日目
~ 大神山神社奥宮 ~ 大山元谷 ~大山放牧場 ~ ガーデンプレイス ~ 温泉 ~帰路
大神山神社奥宮
 登山者の多くは、既に入山しているようだし、これから登る方の多くは夏山登山道へ向かうようだ。
自分たちは今回、入っても元谷までなので大山寺から大神山神社へ向かった。
前回歩いた際にも『素敵な参道』と思ったが、今日は一段とブナの緑が映える。
自然石の畳におちる強い夏の光線 早朝なので二人以外誰も居ない とても静かだ。
維新の神仏分離によって分かれた
こちらは大山寺
本社は山麓にある 里宮と言うよりも冬宮だ Please click !

赤頭巾の地蔵様
ここは元々神も仏も祭っていたのだから
参道のいたる所で水が湧く
御神水 もちろん大山天然水
Please click ! 幅50m 日本一の権現造りだ
両翼に長い翼廊を備える権現造り
封じ込めの神門は、残念ながら修繕中で、良く見ることができなかった
かわりに弊殿にあがらさせてもらう
Please click !    みんな楽(がく)してます
拝して笛を納じる。
楽の飛天が舞い降りたか、一陣の風が弊殿を吹き抜けた 
立派な龍です
社紋は二重亀甲劔花菱
ここも出雲国造だ
複雑な屋根の形状
末社に下山神社
神の使いの白狐;したぐらさん
下山神社の狛は狐
気持ちよく笛を吹けた事に気をよくして、大山北壁の元谷に向かう。
ここからは石畳の参道に代わって、チョイとしたハイキングコースとなる。

大山北壁
ハイキングだってば
とぼとぼ
Please click ! 下手でも噴火しないでね☆
出雲風土記に火神岳と記された大山。
元谷から見上げる大山北壁は、やはり火山の荒神に見える
大神山神社に祭られていたのは大己貴神(オオナムチ)
大黒様の若い頃の別名だが、大地を割ってい出る火山の神ともされる。
雪の大山は → 山のもの 07伯耆大山 白きヤマタノオロチ

大山まきばみるくの里
 北壁元谷から見上げた大山は、険しい岩屏風の山姿だが、別の場所から望むと、その姿は芙蓉な富士の姿になる。
ちょうどその位置に大山まきばみるくの里が広がっている。 
元々は牧場だったらしく、なだらかな斜地に広大な草原。 見上げる大山、見下ろす弓が浜と、のびやか&おおらかな景色が気持ち良い。
草原を思いっきり走り回る子供達が可愛い
美保まで望む高原
美味しい牛乳を十分活かしたソース
上品なホワイトソース
Please click !
高原は、もう秋の気配?
 この素敵なロケーションで、美味しい食事をいただける。
『食べちゃったよ!』 あまりにも美味しそうだったので、自分のプレートランチは、撮る前に手をつけてしまう。
ミルクや肉が美味しいのは無論、野菜類も“そのまま”の美味しさがある。 そして、スーパーからバターが消える昨今、驚くほどの低価格です。

カエル工房 (大山ガーデンプレイス)
 カエル工房をご存じでしょうか? カエル好き(特にリアル系)には、たまらないお店です。
カエル以外にも 両生類・爬虫類・キノコ・昆虫のフィギュア、グッズ、アクセサリー等を
製作販売しています。
れんこんヤモリ & 仲良しカエル
日曜日の今日は、残念ながら工房はお休とのコト。
大山ガーデンプレイスに出店しているそうなので立ち寄る。
ガーデンプレイスの一角、小さなスペースだが、『みんなほしい~』 状態で自制が大変だ。

温泉
 大山の高原降れば、今回の旅もいよいよ終り。
高速に乗る前に、岸本町の温泉ゆうあい・パルという日帰り温泉施設へ。
立地は民家の傍だし、名称も“いかにも”なので、『汗を流せればいいや』 と、あまり期待はせず立ち寄った。
ところがドッコイ、親切料金・トロリとした優しい湯質・清潔な設備 『昨日より、ぜんぜんいい!』
 雨が降りだす。 最後なのに慌しく車に乗り込んだ。

帰路
 幸い雨は山陽に出る前に止んだが、8月最初の日曜日と言うことで、やはりスムーズには帰れなかった。
宝塚に入る所で2時間ほど事故渋滞 日が替わる頃に自宅に到着。

2007年 出雲を巡った様子は  楽しきもの 07出雲・松江 神々とへるんが居た場所

感想
ただ出雲を旅しているだけでも、本やネットで見た神話なモノ達が、実物-もしくはそれに近いモノとして
目の前に次々と現れ、自分の持つ時間軸が大きく湾曲し、双方があまりにも近づきすぎて眩暈を覚える。
ましてや今回、ほんの僅かだが出雲の秘儀を垣間見てしまったのだから 『アブナイ アブナイ』
倭の侵攻 仏教の伝来と神仏融合 弾圧されたキリシタン 神仏分離、情報統制された神風
神・信仰は、時の権力者達が都合よく捻じ曲げるのが常で、古代の記録の多くが、彼らが残したモノだ
しかし、ほんとうの神・信仰は、その時代の民、その個々が信じるモノだった。
神話の時代より生き続ける出雲の神々=日本の八百万の神々なのだから


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