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石見銀山 |
【歴史】
1526年、石見の国は佐摩村;現在の島根県西部 大森町で銀鉱脈が発見された
時は戦国時代の真っ只中 各武将達が争奪戦を繰り広げ、徳川の世になってからは幕府の直轄地となる
17世紀前半には、この鉱山産の銀が世界の銀市場の1/3を占めるまでになった
世界進出が始まったばかりの欧州に、まだ日本という国が良く知られていなかった時代
佐摩村は“SOMA-silver”として、すでに広く世界に知れ渡っていた
シルバーラッシュに沸いた石見銀山であったが、昭和になり銀は枯渇し閉山された |
【史跡】
現在、一般人が見学できる銀の採掘跡は、大森の町を流れる銀山川の上流に残る龍源寺間歩だけだそうだ
人力で掘った坑道は、暗く狭く、奥へ奥へと伸びている
かつて この辺りの山の中には、地下の迷宮のごとく続く抗が 無数に張り巡っていたのであろう
銀山の里に近い場所には、古刹;羅漢寺がある
岩山を掘って作られた堂内には501体の羅漢像が収められ、危険な銀山の仕事で亡くなった鉱夫の魂を弔っている
他にも灰吹き法により銀を製錬した跡地などが残るが、
石見銀山には -自分の目からは- 特別立派な史跡・見張るほどの自然が有る訳ではない |
【大森の町並み】
そんな石見銀山で自分が注目するのは、大森の古い町並みです
銀の山から銀山川を下流に行くと、川の流れに沿うように細長い町があり、
山陰の奥深い山中とは思えないほど家々が軒を連ねている
これがシルバーラッシュで出来た町;大森
最盛期には人口20万(!)にも達したそうだが、現代においては “すべてにおいて辺境の町”
しかし現在でも 銀鉱山に関わった人々の子孫が、先祖と同じ場所で“今”を暮らしている
町の幅は50m越ぐらい それが自然の地形に合わせ、谷底を1Kmほど蛇行して続いている
その背骨である一本道を歩く
ここでの暮らしを少しでも観ようと想っていたが、
皮肉な銀の空から降る雨と、闇の時間が近いため、週末だが観光客はおろか、町の人も少ないは残念だ
歩き始めてすぐに、この町並みを構成している物が、アスファルトや電線といった現代のライフラインを除けば、
木・土・石 自然から あまり加工せずに得たモノであるコトに気がつく
それらの材料を使い、あきらかに人の手によって作られた家並みは、とても優しく目に映る
おそらく銀が涸れたと言う昭和の初期に、町並みの時間は止まってしまったのだろう
幕府が管理していた大きな建物、銀でひと山当てた豪商の屋敷、
そして普通の小さな家が通りに面して混在している
混在はしているものの、ついぞ観たことが無い町全体の統一感があって とても美しい
特徴的なのはアメ色の赤瓦
黒の石州瓦もあるが、目立って多く使われているのはアメ色の方だ
まっ白い漆喰に、そのアメ色の瓦が乗っていると、異国情緒とも想える不思議な感じがする
この町並みの統一感が生じた背景には、町中が『銀を!』と言う、共通の意識があった事や、
山と村全体に柵をめぐらせるほど、幕府が管理していた事などが考えられるが、
何より僻地のため、手に入る材料が前記に述べた限られた物だったという点が 大きく影響しているのであろう
無論 現在は“伝統構造物保護法”という柵が巡らされているのだが
【建物】
町並み全体に統一感はあるが、同じような建物が並んでいるわけでは無い
大森の古い町並みには、栄えた頃の裁判所や幕府役人の宿なども残るが、
なんといっても魅力的なのは、今も人々が暮す普通の家だ
大多数の家は切り妻で、長手を通りに向けて居住スペースを確保する手法の造りだが、
細部はみな個性的だ 縁側や軒、窓や玄関 限られた材料で、それぞれ皆趣を凝らしている
【庭】
大森の町は深い谷間の底 平地は限られ、家々はピタリと軒を並べている
しかし、日本人は庭に憧れる
周囲は山 それこそ大自然に囲まれているのだが
それでも庭に花や木を植え、石を置き庭に凝る
【新しい大森】
大森も変りつつあるようだ 石見銀山として世界遺産の登録を目指しているそうだし、
民家の中を改装し、驚くほど洒落たブティクやギャラリー、シルバーアクセサリーのお店があった
大森の古い町並みに、夜のとばりが下りてくる
和紙のフィルターは灯りの多くを室内に反射し、ほんの少しを優しく外にもらす
石見銀山:歴史の記憶は山や大森の古い町並みだけではない
産出した銀や物資を運ぶための山越え道;銀山街道が、日本海の港に至っている
今回は雨に濡れたアスファルト 現代のシルバーロードを車で移動する |