10神代桜と御柱祭曳行
2010/07/27 up
神代桜と御柱祭曳行
2010.04/03
甲斐の国に神話の桜が咲き、諏訪では七年に一度の御柱
 神代桜
 神代桜は、山梨県北杜市武川町の実相寺境内にある樹齢2000年ともいわれる老
神代とは、ヤマトタケルが東征の際に、この桜を植えたから_
本当の樹齢や伝えはさておき、この桜が国の天然記念物第一号だそうだ。(特別天然記念物では無い)
もっとも、今は天然という言葉が当てはまるかどうか_ 主幹は既に洞となり、横方向に長く伸びた枝は人の手によって
支木が充てられている。 「日蓮が祈りで蘇らせた」伝えもあるが、この状態でも沢山の花を咲かせるのは、地域の
人々の世話の賜ものだ。
山高神代桜とも呼ばれる
甲斐駒のコブは摩利支天
桃色桜、黄色の水仙、青空に残雪の甲斐駒

 御柱祭 曳行
 諏訪の御柱と言うと、急峻な崖を人がまたがった大木を落とす、木落しのシーンが有名ですが、それは御柱祭の一コマで
しかありません。 祭の順序は上社・下社で若干の違いはありますが、山から木を切り出し、宮近くの御柱屋敷まで曳行する
山出し(この山出しの曳行中の難所が、穴山の大曲木落し、川越しと呼ばれています)、そして御柱屋敷から各宮まで
曳行する里曳き、大木を神とし、各宮の四隅に立てる建御柱という順で進行して行く祭です。
 今回、縁あって上社の山出し曳行に、ほんの少しだけだが参加させていただきました。
参加させていただいたのは、豊平・玉川地区。 今回は神の御意向前宮四之御柱。 御柱となる木は祭の2年前の
9月には蓼科国有林及び、立科町有林の木が仮見立てされ、祭年の3月に伐採された樅(モミ)の大木だ。
 本宮二之柱が木落しされたのをTVで観てから、最後尾の前宮四之柱を迎に出た。
なだらかな坂道を登って行くと、八ヶ岳の裾に高音の木遣り唄が響き、道幅いっぱいの人々見えてくる。
八ヶ岳の麓、青空に泳ぐ旗
豊平・玉川の地区の曳行は
先頭を旗隊が飾る
御柱は直径1m、長さも15m以上あるそうだが、ぜんぜん見えません
上社御柱の特徴が、前後に付けられている
めどと呼ばれるV字型の角(つの)。
スタートの綱置場から安国寺の御柱屋敷までは、御柱街道と呼ばれる約12kmの道程だ。
その距離を機械は勿論、コロさえ使わずに人力で曳くのだ。 皮を剥がれた大木は 10t以上ある。
やや下り坂の道とは言え、とんでもないパワーの祭だ。
太い元綱は威勢のいい氏子が持ち、先頭に行くほど枝分かれし細くなる綱を地区の老若男女が曳く。
   めどに掛けた縄を操する氏子達
上社の御柱は左右に大きく揺らしなが曳かれる。
めどに取りついた氏子が、おんべを振りながら掛け声をあげる。
自分達の祭、綱を引くだれもが自分達の祭を楽しみ、誇りをもっている。
それにしてもすごい人数だ。 豊平・玉川地区だけでもこれだけの人が集まるコトに驚く。
御柱の重さを感じました
御柱の側には、とても近づけない。
先頭の方を引かせてもらえました
ミシャグチの痕
御柱を曳いた痕
御柱には古タイヤを巻いてあったが…
諏訪の神紋“梶の葉” 上社は四本足
はっぴ、おんべ、綱
各所で酒が振る舞われ、喇叭(ラッパ)隊の演奏、竹竿突きが行われる。
最後尾の余裕なのか、七年に一度の祭故か、御柱の進みは遅い。
 奇祭と言われる諏訪御柱祭の由来について考えてみる。
木柱を神としてに祀るのは、高木の神をはじめ、伊勢神宮の心御柱奉建など他でもみられるが、宮の四隅に柱を立てる諏訪御柱は、柱を御神体として祀るのとは意味合いが違う。
おもだった説では、
 ① 四無量四抄四王擁護四菩薩など仏教的な説。
 ② 国譲り神話で出雲を追われたタケミナカタを諏訪に封じるための結界説
 ③ 縄文時代より続く信仰ミシャグチの依り代説
などがあげられるているが、①の仏教的な教えが、この祭りの源にあるとは思えない。
この祭りは、もっとヒトの原始的な部分を揺さぶる。
内側に対してなのか、外側に対してなのかは別として
神長官守矢史料館にて
 以前、守矢の資料館を見学した再に御柱の原形を観た。
やはり宮の四隅に柱を立てる行為は、結界ともいえる空間の仕分けであろう。
守矢家はタケミナカタが諏訪に入る前からの土着信仰の神職、一説には縄文時代から続くシャーマンの血筋と言う。
諏訪においては、ヤマトの古事記よりもモレヤの方がはるかに古く受け入れ易し。 八ヶ岳の西麓は、尖石をはじめ
縄文時代には大くの人々が暮し、アミニズムな信仰が盛んであった。
御柱祭は精霊神の地鎮や遷宮に相当する原始宗教の祀りが始りだったのかもしれない。
蛇神は酒が好物なのはどこも同じ
祭には酒 諏訪は美酒処
信仰も時代とともに移り変わり、祀りは祭となった。
揃のカラフルな半被やおんべは地域対向戦の様相だし、
木落しや川越えは重要な観光資源だ。 参加する多くの者に信仰が表立つことは無い。
それでも、七年に一度の祭に人は集い結束する。 “祭”とはそれで良いと思うし、
自分の暮す地には、そういった祭が無いので、とても羨ましい。

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