10安曇野
2010/07/08 up    
安曇野
2010.03/13~14
白馬にスキーへ しかし初日は春の雨。
こんな天候でゲレンデスキーもなんなんで、安曇野の普段寄れない場所をプラプラする
 安曇野山岳美術館
 《北アルプスの麓で山岳絵画のみ展示する》安曇野山岳美術館 存在は知っていたが、ナカナカ山行時には
立ち寄れない美術館でした。今回はせっかくのチャンスなのでしっかり拝見させていただきました。
 作品の多くがダブレ・ナチュール(現場写生)で描かれたモノだそうだ。
キャンバスやイーゼルといった本来山行には不要の大荷物を担いで山に入る。絵具が乾くのには日単位での時間が
必要_ 当時は今ほど山小屋も整備されていなかったので、食料の荷揚げも必要だったであろう。
苦労は多い_ しかし、山好きの方が本当の山を観ながら描いた作品は、山好きのツボを刺激してくれる。
   「あのルンゼでいけるか?」「この岩なら大丈夫。」「急げ! 風が冷くなってきたゾ」
絵を観ているだけで“山登り”を感じられるのだ。
別荘地内、駐車場は狭いです
穂高温泉郷の赤松林の中に小じんまりと建っている美術館
美術館のパンフレットより
北穂高岳南峰 足立源一郎 1957

 穂高神社
 日本アルプスの総鎮守、穂高神社。 上高地:明神池の奥宮、奥穂高山頂の峰宮には何度も足を運んだが、
本宮に当たるこの神社は初めて参る。
安曇野の神は穂高見命綿津見命の子だ。 安曇野は古代日本の有力な氏族:阿曇(あづみ)氏の土地だった。
阿曇氏は
北九州に栄え、大陸の技術を用いて日本海側の広範囲に移り住んでいた。
国譲り神話で出雲を追われたタケミナカタも、おそらく同じ蛇神を祀る安曇族を頼りながら、糸魚川沿いを南下、
信州安曇野を経て諏訪の海に向かったであろう。
神文は菊。阿曇氏は、物部氏・蘇我氏等が台頭する以前の、古代天皇家直属の軍隊だった。
ぴかぴかの拝殿
二十年に一度の大遷宮が行われたばかり

井上靖が著した「けやきの木」という題の小説のモデルの欅だそうだ
樹齢500年の大ケヤキに笛を奉じる
穂高神社:若宮社
摂社の若宮社
祀られている阿曇比羅夫は、
穗高見神の後裔だそうだ。
さらに相殿に祀られている信濃中将は、
かの、ものぐさ太郎
この穂高の社を造営したのも、
ものぐさ太郎だったと伝わっています。
ものぐさ太郎のお話*京都大電子図書館

 道祖神
 安曇野を代表するもうひとつの神が道祖神。
道祖神は陰陽石信仰、塞の神、地蔵信仰など、様々な神や仏と習合し、子孫繁栄・五穀豊穣・村の守護を願われ全国に祭られている。
 安曇野の道祖神は男神・女神か並んでいる双体道祖神が多い。
当然、塞の神であるサルタヒコ&アメノウズメのペアと考えられるが、思うに、
先のものぐさ太郎の御伽草子が庶民に広く伝わったのではないでしょうか。
ワダツミに比べ、はるかに面白く判り易い物語_
幸せに暮らしたものぐさ太郎はやがて、おたがの大明神に、女房はあさいの権現という恋の
神様になったそうなので、現在は、その睦まじい姿は縁結び観光のご利益が高そうです。
穂高神社の道祖神は、ちよっと老け顔
穂高町矢原の道祖神は晩酌姿

 温泉
安曇野はフォッサマグナの上 当然温泉の宝庫デス。
五竜ゲレンデの側
朝一に立ち寄れる十郎の湯
重曹泉系は美肌成分たっぷりの「美人の湯」
岩岳の麓 中央の大岩から湯が湧いています
翌日、岩岳でスキーとスノーシューを楽しんだ後、おびなたの湯へ。
野趣あふれる雪中風呂、雪解けの渓流と大岩を伝わる湯の音を
聞きながら、ゆっくりとあたたまる。
八方 名木山に歩いて行けます
今回の宿、えびす屋源泉かけ流し
熱めの湯は好みです。

雪の白馬三山
山のもの; 10白馬岩岳 スノーシュー 二日目は、白馬岩岳でスノーシューイング
雪の白馬三山が大迫力でした。
山のもの; 10白馬岩岳 スノーシュー

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