09波の伊八
2009/12/16 up
“波の伊八”を観に東頭山 行本寺へ
2009.08/15
フグしか釣れないので、さっさと海を後にする。
帰路、以前より気になっていた“波の伊八”に寄ってみました。
  伊八の作品が残る東頭山 行本寺は、上総一宮と大多喜の中間ぐらいの場所、
千葉らしい田園風景の広がるいすみ市に在る。
東頭山と山号を称しているが、千葉なので標高は50mにも満たない山寺だ。
それでも一歩参道に入れば、深い緑に囲まれてナカナカ好い雰囲気となる。
山門はとても立派で、全体の朱色や装飾の彫物は鮮やかだ。
 東頭は東国で最初の開山を意味するそうで大変由緒ある寺だそうだ。
平将門が暴れる少し前、849年に慈覚大師が開山し、江戸時代には
徳川家の庇護を受け学問寺として人材育成や文化向上に努めた。
ここで学んだ学僧;亮運は、後に上野寛永寺の学頭となり家光の師となる。
別名;慈雲閣 丁度今年、復元作業が終わったところだそうです
 本殿に近づくと、向拝又蟇股を飾る龍や向拝柱木鼻の漠と獅子など、金箔を奢られた煌びやかな彫物が目を引く。
これらの彫物は幻の名工と呼ばれる高松又八の手によるものだ。
高松又八は江戸では公儀彫物師 日光東照宮の棟梁として活躍し、江戸城や上野寛永寺、芝増上寺の彫物を手掛けたが、戦火によりそれらは焼失してしまう。『高松又八の彫物は素晴らしかった!』の伝えだけが残り、幻の名工と言われていたが、2000年に行元寺を修復した際に、欄間彫刻から「宝永三年御彫物大工高松又八郎邦教」の刻名が発見され、現存する高松又八の作品群がこの東頭山 行元寺のみで観られることになった。 
又八の龍  獏は平和のシンボルだそうです 本殿内では、さらに豪華絢爛な
欄間彫刻“牡丹に錦鶏”が観られます
 昇殿し伊八の作品見学を申し込む。 少し待って、本殿から廊下でつながる別棟に通される。
ここまでの豪華絢爛からうって変わり、渋い色合の部屋。普通の農家の家中といった、その欄間に“波の伊八”がある。
現代の自分から観ると、欄間を飾る作品というより、「作品を見せる為に欄間あり」といった堂々としたサイズと作りだ。

 伊八は安房鴨川に生まれ、多くの欄間彫刻の名作を残した。
特に波を彫らせては天下一と言われ、波の伊八の異名で知られた。
「伊八は毎日酒を持って海に馬を走らせ、乗馬したまま波を被りながら波を横からスケッチした。」と、案内してくれたおじさんが語ってくれました。

 薄暗い部屋だが、よく見れば木目と波がマッチしているし、なによりも構図が波乗り目線だ。
これは太東の波ですね!
伊八;波に宝珠
宝珠を富士山に
葛飾北斎;神奈川沖浪裏
撮影不可故、行本寺のパンフレットより
 葛飾北斎は、堤等琳の元で共に絵を学んだ等随の絵“土岐の鷹”(この作品も観れます)を観るため、この東頭山 行元寺を訪れた。 最初は制作中に、後に完成された作品を。 その際に“伊八の波”を視て影響を受けたのであろう。 晩年、北斎は富嶽三十六景『神奈川沖浪裏』に“伊八の波”をオマージュする。
やがて北斎の波は海を渡り、ゴッホが賞賛し、クローデルの波となり、ドビッシーの『ラ・メール』に繋がって行く。
みんな、このブレークせんとする瞬間の波に魅了されたのですね。

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