戸隠 五社巡り |
善光寺の裏手からバードラインを登って行くと、今尚、山岳信仰の気配を色濃く感じる邑(むら):戸隠に到る。
戸隠が最初に宗教と結びついたのは紀元前210年とも言われ、縁起によると、平安時代;849年頃、学門という名の行者が、
9つの頭と龍の尾を持つ鬼をこの地で岩戸に閉じこめ開山したとされる。
しだいに“信濃の戸隠”は、神仏習合・山岳密教の霊山として高野山や比叡山と同等の一大霊場に数えられるようになり、
全国から修験者や僧達が集まり、寺が建ち、宿坊ができ、やがて集落へと発展してゆく。 |
そんな戸隠も戦国時代、謙信vs信玄の川中島合戦の前戦地帯となり荒廃してしまう。
江戸時代となり、家康からは独立領である御朱印が与えられ庇護を受けるが、天台宗による寺院統制を義務付けられたため、
修験道者達は排除され、代わりに商人・職人・農民などが集まりだし、現在の戸隠の邑の原型である門前町として再び賑わうようになった。 |
しかし再び、明治維新時の神仏分離令・廃仏毀釈により霊山は受難をむかえる。
戸隠一山も「戸隠山顕光寺」から「戸隠神社」への転換を迫られ、神仏の領地だった山も里も、ヒトのモノになってゆく。 |
現在、戸隠神社と言う社は単社で在るのではなく、山里に点在する、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社に、天岩戸神話で
功績のあった神々を主として祭り、五社を総して「戸隠神社」と示します。
神仏の地は減ってしまったとは言え、邑の核を成すのは今でも社であることは間違い無く、観光でやってくる多くの方々も
「神話の世界;戸隠」に期待を抱いてやってくる。 |