08喜多方~猪苗代 会津ぶらり ;楽しきもの
2008/12/23 up    
戸隠 キャンプステイで五社巡り&そば打ち体験
2008年 5月3日(土)~5日(月)
天岩戸神話の邑;戸隠の春を楽しみました
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戸隠 五社巡り
善光寺の裏手からバードラインを登って行くと、今尚、山岳信仰の気配を色濃く感じる邑(むら):戸隠に到る。
戸隠が最初に宗教と結びついたのは紀元前210年とも言われ、縁起によると、平安時代;849年頃、学門という名の行者が、
9つの頭と龍の尾を持つ鬼をこの地で岩戸に閉じこめ開山したとされる。
しだいに“信濃の戸隠”は、神仏習合・山岳密教の霊山として高野山や比叡山と同等の一大霊場に数えられるようになり、
全国から修験者や僧達が集まり、寺が建ち、宿坊ができ、やがて集落へと発展してゆく。
そんな戸隠も戦国時代、謙信vs信玄の川中島合戦の前戦地帯となり荒廃してしまう。
江戸時代となり、家康からは独立領である御朱印が与えられ庇護を受けるが、天台宗による寺院統制を義務付けられたため、
修験道者達は排除され、代わりに商人・職人・農民などが集まりだし、現在の戸隠の邑の原型である門前町として再び賑わうようになった。
しかし再び、明治維新時の神仏分離令・廃仏毀釈により霊山は受難をむかえる。
戸隠一山も「戸隠山顕光寺」から「戸隠神社」への転換を迫られ、神仏の領地だった山も里も、ヒトのモノになってゆく。
現在、戸隠神社と言う社は単社で在るのではなく、山里に点在する、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社に、天岩戸神話
功績のあった神々を主として祭り、五社を総して「戸隠神社」と示します。
神仏の地は減ってしまったとは言え、邑の核を成すのは今でも社であることは間違い無く、観光でやってくる多くの方々も
「神話の世界;戸隠」に期待を抱いてやってくる。
 中社
まずは戸隠の神社・観光 そして立地的にも中心である中社へ
中社の祭神はオモイカネ。 天の岩戸にひきこもったアマテラスを、 「どうやって外に連れだすか」と思案していた八百万の神々に名案を授けた高天原の知恵袋だ。
先代旧事本紀では、オモイカネは信濃に降り立って信之阿智祝部の祖となり、また、秩父国造の祖でもあるとも記されてている。
豊富な自然に恵まれた信濃や秩父だが、農耕が盛んになると、開拓や水治の知恵が必要になった_と言ったトコなのだろうか。
山春の桜咲く石段を登ると、樹齢800年と言われる立派な杉がお出迎え。 明るく広い境内に、割とこじんまりとした本殿が建つ。
中社の三本杉には人魚伝説が伝わる 中社拝殿の天井画は、河鍋狂斎の龍が再現されているそうです
朝早でも、多くの参拝者で賑わっていました

戸隠神社の社紋は鎌卍(かままんじ)
水の神・豊作の神として崇められる戸隠大神は、
農作業の道具である鎌をご利益の象徴としている

 奥社・九頭龍社へ
巨大な岩屏風・戸隠山の麓に奥社・九頭龍社の二社が並んで建つ。
駐車場からの片道約2kmの参道は、誰もが歩かねばならず、『霊山に向かう幽玄な杉並木の参道』のイメージでいたのだが…
ささやきの小路で随神門へ
日中、戸隠の道路や駐車場は大混雑!
キャンプ場から、ささやきの小径をハイキングして随神門
恐ろしく巨大なクマスギ  Please click !
随神門は参道の中間点
ここからは樹齢400年の杉並木となる
平坦だった長い参道も社の手前からはグイッと斜度がつき、石階段を登ります
 奥社
戸隠山(1,904m) 岩屏風の戸隠山稜線直下に建つ奥社の祭神はアメノタジカラオ
岩戸を塞いでいた大岩を投げ飛ばした怪力の神だ。
戸隠の伝えでは、「その大岩が此の地に飛んできて突き刺さり、戸隠山になった」とされている。
腕力・筋力の神は、現在はスポーツの神様としても信仰されている。

社務所も大混雑!
御朱印は、一枚一枚手書き&都度払いのため、頂くのに30分ぐらいかかった。
 九頭龍社
虫歯の神でもある 奥社の横に並ぶ九頭龍社。
奥社に比べ小じんまりとしていて、参拝者も少ないのは、
天の岩戸神話で功績のあった神が祀られていない為なのか_
しかし実は、天の岩戸神話と戸隠が文献上で完全に結びつくのは、
室町時代になっからだそうだす。
源戸隠の神とされるのが、こちらの九頭龍大神。
此の地に手力雄命が奉られる以前から、水や雨の恵みをもたらす
地主神として祀られていた。
龍の恵み
山好きの自分からすると、戸隠山の鋸稜線からして、
九頭ノ龍の方を安易に想像してしまう。
人 ヒト ひと…
『戸隠ブーム!?』
それにしても人の多いこと!
後で知ったのだが、TVで「戸隠はスピリチュアルスポット」と
紹介されていたそうです

帰りは参道口から、さかさ川歩道でキャンプ場に戻る
ささやきの小路とは一味違う、明るい遊歩道だ

 宝光社
バードライン側の邑の入口に建つのが宝光杜。
今朝は月並祭の太々神楽献奏が行われるそうだ。 朝6:00 朝食前にキャンプ場を出る。
宝光社の階段
社に到るためには、
この石段を登らねばなりません
朝イチには、結構な運動デス。
神仏習合時名 ;宝光院。 宝光社の祭神はアメノウワハル
古書によると、元は奥社に祀られていたアメノウエハルが、
ある時この地まで飛来し、
「奥社は女人禁制のうえ、冬は登拝が困難だが、
ここなら四季を通して老若男女がお詣りできるだろう」と、
おっしゃったので、里の人々がここに社を建立したといいます。
開拓、学問、技芸の神であり、さらに女性に優しい神は、
裁縫・安産・婦女子・子供を守る神徳もあるそうです。
神仏習合時代の面影を残す荘厳な社殿内で
太々神楽献奏が行われる
我々も昇殿し、天の岩戸神話に基づく
神楽をはじめ、戸隠の時代の流れを感じる
神楽を間近で観ることができました。
太々神楽献奏中、社殿内撮影禁止
このお嬢さん達が神楽を舞ってくれました。
紺の袴が可愛いらしい

 火之御子社
サルタヒコは祭られていないようです 宝光社から中社方面に戻る途中、道脇に建つ火之御子社。
戸隠五社の中で、一番参拝者が少ないであろう。 ちゃんとした駐車場は無く、社務所も無い。
戸隠山の神様が神仏習合されていた時代にも、このお社だけは神社として立していて、
先ほど宝光社で観た太々御神楽も、火之御子社に仕えていた社人によって、今に伝わったそうです。
と言う訳で、祭神は天岩戸神話では助演女優賞ともいえるアマノウズメ
楽芸能・縁結・火防の神として祀られている。

境内には西行桜が植わっていて、西行戻しの逸話も伝わる。
戸隠は“かくれ里”では無いが、白洲正子もここを訪れたのかしら_ ふと想う。
今回の戸隠五社巡りは、GW中ということで何処に行っても人ヒトひと_ 神話のアミューズメントパーク状態でした。
しかし、ちょっと山に入れば静かに神々しい残雪の山々を仰げました
ヒトの多い神社よりも神々しい ;瑪瑙山から
龍の背のごとし


キャンプで戸隠ステイ
今回は二泊三日の旅 戸隠キャンプ場をベースにしました
戸隠山の麓 戸隠キャンプ場はオートキャンプ場
ロケーションが好く、隣には牧場も広がる。
スペースも好い意味、曖昧で
居心地のよいキャンプ場です。
バトミントンが楽しい
『ツべたい~』  水芭蕉の群生  Please click !
キャンプ場内に清らかな流れ  いたる所で水芭蕉が群生している

 オートキャンプの楽しみのひとつは食!
普段の山キャンプではお目にかかれない、
豪華な(!?)料理を作りました

旨すぎパエリア
写真にポインタをのせてみて!
お酒とシナモンを少々
バナナとプルーンのホイル焼き
卵も入れてみました
現地調達で蕎麦粉のパンケーキ
地物の杏ジャムと胡桃バターも添えて
『秘密』
『今度は何が出来るの?』
茹でたては美味しい~
茹でたてペンネに
茄子のトマトノソース&茸のペペロンチーノ
焚火缶はセンタで無料貸し出し
キャンプの楽しみ焚火 
直火は不可だが、焚火缶でOK
ポコ ポコ ポコ と
オートキャンプのCoffeeはパーコレーターで
Coffeeの香りがランタンの灯をゆらがせる
キャンプ場にコインシャワーもあるが、中社まで下れば日帰り入浴施設神告げ温泉がある
もっとも、こちらもGW混雑でしたが…


戸隠の春
戸隠;中社ので標高が約1200m
長野の街と比べても春は遅い
丁度、我々が訪れたGWが桜や土筆の時期のようでした。
中社の門前辺りにて 奥社参道口辺りにて
桜は散り始めでした
戸隠 鏡池 Please click ! 『気持ちイイ~』
西岳と戸隠山の鞍部の裾で名前の通り、
戸隠の山々を水面に映し出す鏡池
キャンプ場と奥社・九頭龍社参道をつなぐ、ささやきの小径やさかさ川の遊歩道。
日中、一本道の車路や駐車場は大混雑しているので、ここは静かな山裾を歩くのが賢明だ。
ささやきの小,径
Please click ! Please click ! 九頭龍の流れ
Please click ! 杉の祠
   残雪の戸隠や後立山連峰の展望を楽しむため、瑪瑙山も登りました
山のもの 08瑪瑙山


そば打ち体験
酒の杉玉に習って、蕎麦玉だそうです 戸隠と言えば蕎麦なのだが、
はっきり言って、今まで美味しい戸隠蕎麦に当たった事がなかった。
今回もお店で頂いたが  『う~ん』
『う~ん タレは美味しいケド… 』
ならばと、そば打ち体験のできる戸隠そば博物館とんくるりん

こね鉢
最初に蕎麦粉とお湯を混ぜて
ダマ状にします
今回は二八です
つなぎの小麦粉を加え混ぜ、
水を少しずつ加えます

水が回ったら、全体をまとめて
♪リズム♪が大切
捏ねます
お菓子作りの要領ネ!
そして面棒で延ばします
最初は中心に凸を残して
どんどん延ばします
厚みが均一になるように
理想形の四角形を目指す
巻いて ぎゅっぎゅっ 『うん!? ここが厚いゾ』
広がってきたら、面棒に巻きつけ転がしてさらに広げます
くっつかないように
打ち粉を振りながらたたみます
蕎麦切り包丁
いよいよ裁ち!
小間板を上手に使う
刃は垂直に、リズムよく落とす
四人前打ちました
初めての割には
見た目はOK
完成!
完成デス
自分たちの打ったそばを
その場で茹で上げてくれます。
オプションの天婦羅も付けてもらって
『頂きます!』

ズッ ズッ ズゥー
 『旨っ!』
自分で打ったからなのか、
打ち立ての為なのか
啜ると濃厚な蕎麦の香と
優しい甘みが広がる、感動の蕎麦でした。
これも美味しかったデス
現地で食べきれなかった蕎麦は
持ち帰って、焼き蕎麦で頂きました。
地元のおじちゃん・おばちゃんが先生を務めるとんくるりん。 みな、優しく指導してくれました。
子供連れのファミリーの方々も多く、みなさん自分達の打った蕎麦に舌鼓を打っていました。
先生曰く、「蕎麦の風味を活かすには、短時間で打つのが最大のポイント」とのコト。
『今回は、あんなに時間がかかったのに美味しかった_もっと早く打てれば、もっと蕎麦が美味しくなるハズ!』 
と、最近そば打ち道具に目が向く自分です。


道中
善光寺 本堂 戸隠に入る前に寄った善光寺
室町時代、戸隠信仰は善光寺信仰とセットで流布していたと見られ、
多くの僧が戸隠、善光寺の双方を参詣したそうです。
左:武田信玄の位牌、右:上杉謙信の位牌
善光寺と戸隠を奪い合った2人も、今は仲良く並んでいました ⇒


大望峠から見つけた“かくれ里”
帰りは鬼無里(きなさ)に周る
いろは堂おやきを買い食いしたり、
奥裾花鬼無里の湯に浸かったり
と、ぶらぶら。

お能や歌舞伎の“紅葉狩り”は、
鬼無里の鬼女伝説が源と伝わる。
 かわいい一夜山も近い。
此処はココで、また訪れるコトとしよう_
いろは堂 本店
此処から全国のデパートに進出!
結局、ぶらぶらしているうちに白馬に出た 安曇野の大王ワサビ園にも寄ったり
白馬からも走り慣れた道は通らず、
意図的に迷うように美麻方面へ
すると、中山高原の峠で
一面菜の花が咲いていた。
帰宅後検索すると
ここで、バイオ&エコに取り組む方々が
全国菜の花サミットを開催されたそうです。
安曇野の大王わさび園にも立ち寄り
帰路につく。

感想
GWの穴場狙いで出向いた戸隠だったが、人の多さにビックリ。
それでも、キャンプ場や瑪瑙山&ささやきの小径などでは、春を喜ぶ自然の中に入れました。
そば打ち体験も好かったデス。 自分達が打った蕎麦で感動できるとは_ぜひまたやってみたい!

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