ローカルガイドに連れられて |
ローカルの強みで裏道多用で京の街を縦横無尽 短時間でいろいろな場所を案内していただきました |
細長い参道の両脇に萩 |
梨木神社
祀られている実萬・実美(さねつね・さねとみ)親子は、
明治維新時に王政復古の原動となり、御所廃止も防いだ。
帝と京都の恩人としての功績か、御所の東に寄り添うように
神社は建つ。 |
早めに開いた白萩に 『おおきに。』 |
ある京都人が言った
「帝はんは、ちょっと東に遊びにいってはるだけどす。」
きっと本気だ |
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黒谷金戒光明寺(くろたにこんかいこうみょうじ)
京都の東の入口、大門寺山の麓に建つ。
この寺は幕末時、新撰組を配下にした京都守護職会津藩の本陣だったそうです。 |
いぶし銀瓦の大屋根を載せた重厚な山門が、京の都を見下ろしている。
京都の景観が騒がれる時勢だが、鎌倉時代からこの場所で京の都と夕陽を見てきた山門は
微動だにしない。 |
法然院も車で乗りつける名ガイド
しかし、哲学の道ブームなのか、狭い境内には人いっぱいで 『思索にふける_』 どこでは無い。 |
境内には野生のムササビやリスも
暮しているそうです |
法然院は“南無阿弥陀仏”を唱えれば浄土へ往生できる専修念仏の開祖である法然上人の草庵。
時の後鳥羽上皇が熊野詣出の留守の間に、妻の松虫・鈴虫の両人が法然院の修行僧、安楽と
住蓮を慕って出家してしまう事件があり、安楽・住蓮は死罪、法然上人は讃岐へ流罪となった。
そして因果応報、後鳥羽上皇は承久の乱で北条氏に敗れ隠岐に流される・・・
宗教とか、男と女とか、因果とか_複雑ですね。 |
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祇園を抜け建仁寺へ
1202年、栄西(ようさい・えいさい)が鎌倉幕府2代将軍源頼家の援助を得て建立された建仁寺は、日本で最初の禅寺。
桃山時代の回遊式庭園が有名で、広い畳の間で禅_ではなく、素敵な庭を眺めながらゴロリと寛げる。
開けはなった戸 風が抜け、外の暑さがウソのようだ。 |
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← 風神雷神屏風 (筆;俵屋宗達)
枯山水の庭と言い、この絵と言い、『間って大切。』 |
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双竜図(筆;小泉淳) →
108畳の天井に、この絵は迫力です
2002年、開創800年を記念して描かれた
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これも魔都が成す妙 !? |
京都駅の南 城南宮へ 神社です。
ご神体は、女傑・神功皇后が三韓征伐に用いた軍旗だそうです。
貴族の方違の宿、御所の裏鬼門封じとして、方除け・厄除けのご利益があるそうです。
現在でも、王朝文化華やかしき宴 “曲水の宴” や“夏越の祓え”が行われるそうです。
でも、もう5時です。 |
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夏雲をたずさえて |
今日の神社仏閣巡りの最後は東寺(教王護国寺)
またしても、途方もない広さの寺院に圧倒される。
しかし、東寺では貴族の雅さは影を潜めているようだ。
弘法大師ゆかりの境内で遊びまわっていた子供達も、
『そろそろお家に帰る時間だよ~』
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そして大人は黄昏の嵐山へ
夕映えの桂川のほとりで月を愛でる。 |
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さすが京都観光の名所。
渡月橋(とげつきょう)を大勢の人と車が橋を行きかっている。
現在の渡月橋、上手に木製にみせているが基部は鉄筋
コンクリート。 今の京都を象徴するようだ。 |
夕げは、ガイドにワガママを聞いてもらい、鱧を味わう。 |
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京都の古い町には、お風呂が無い家がまだ多いそうです。
おかげで銭湯も、まだまだ現役で数多い。
友人宅そばの長池湯へ |