07京都 ;楽しきもの
2008/06/27 up
京都 2days
2007/08/25~26

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花咲く伊吹から、琵琶湖を西回りで上洛する
伊吹山登山のレポートは → 山のもの :07伊吹山
世界遺産に泊まる 仁和寺
京都最初の宿は仁和寺(にんなじ) 世界遺産での宿泊だ。
仁和寺は、888年 光孝天皇の意思を継いだ宇多天皇が、勅願寺として造営したのが始まりで、出家後の宇多法皇が住したことから
「御室御所」(おむろごしょ)の別名が充てられる。 以後 皇室出身者が歴代の門跡(住職)を務め、当然のごとく皇室の尊崇と貴族らの
庇護を受け大いに栄えた。
応仁の乱で全山焼失後、乱世の時代には再建がとどこうるが、徳川の世となり三代将軍家光の時代に再興された。
徒然草方丈記にも登場し、また陶工仁清ゆかりの地としても有名で、1994年 古都京都の文化財として世界遺産に登録された。
本来は仁和寺に用のある僧伽が宿泊や会議を行う施設御室会館、空きがあれば誰でも宿泊可能です。
寺内の宿といっても宿坊では無く、立派なコンクリート造りにエアコンやTV、大浴場もあり、食事も必要十分な質と量。
駅前のホテルなどに比べればけしてゴージャスではないが、京都を感じるには好い宿です。
西側に御室会館口 朝食 冷やし豆腐が美味しかった 会館から参道のまでも、この距離だ
次回は御室桜で花見をしたいものだ Please click ! 何も無い贅沢です
昨夜は日没後に到着したので、寺院の全容は解らなかった。
早朝、散歩がてらに“おつとめ”に参加する。 - これも強制ではありません -
歩き始めるとすぐに緑鮮やかな庭園が広がり、趣を傅える伽藍が点在している。
『広~い』 実際広大なのだろうが、たとえば浅草寺のように仲見世があったり、後ろに
花やしきが見える訳ではない。 宿泊者の特権 -他に観光客のいない状態- も、いっそう
そう感じさせるのかもしれない。
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端整な五重塔
美しいモノがゴロゴロ
彫物が素晴らしい旧御室御所の門      
まだ閉じています
重厚な仁王門が通常の入口
金堂は桃山時代に建てれられた御所の紫宸殿を江戸の再興時に移築した殿で、
古木の重厚感、白の清潔感、品のある箔と、雅と凛を一緒に感じる美しい建物だ。
朝の“おつとめ”は、この金堂で行われる。
通常、金堂内部は公開されていない
仁和寺 金堂
“おつとめ”後、再び境内を散策。
多くの伽藍が江戸時代に整備された物だそうだが、手ぬかりない清らかさ_観光の
清らかさでははない、もてなしの清らかさ_ に包まれ心を和ます。
御室桜の傍らで一句詠む平安貴族が現れてもおかしくないロケーション。
こんなスゴイモノが町中いたる場所に在る京都って 『やっぱり、すごい。』

 三柱鳥居の謎 蚕の社
太秦と言えば映画村 _イエイエ、其処には全く興味が無いワタシ達は、まっすぐ蚕の社へ。
蚕の社の現名は、木嶋座天照御魂神社 ここには知る人は夢中になる“三柱鳥居”が在る。
現在の祀神はもっともらしい五柱なのだが、続日本紀に神社名が記載されていることから、
古墳時代に朝鮮半島から渡来し、この嵯峨野一帯に住み着いた秦氏の崇拝が源と云われている古社である。
秦氏は製陶・養蚕・機織など当時の倭よりも、はるかにすぐれた技術を持っていた。
本殿の東側には織物の祖神を祀る蚕養神社が建ち、蚕の社もそれにちなんだ社名である。
そして本殿の西側に謎の三柱鳥居だ。
住宅地とは思えない鎮守の杜 此処では何を奉じるのでしょうか?
舞殿も立派だ
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ユダヤの紋章? 天地の気を集めるパワースポット? 三井財閥のシンボル?
さまざまな諸説にロマンは膨らむばかりです。
しかし、私の説はもっと単純です。
通常の鳥居は二柱 「この先は…」と、境界を示すモノ。 比べ三本鳥居は「ここが…」のポイントを示す意味に思えました。
今回は涸れていたのでちょっと間抜けだが、本来この鳥居は“元糺の池”という神池の中にある。
かつては四季湧水する池だったそうですし、蚕の社は古くから祈雨の神としての信仰され、秦氏は当時の最先端技術で、
桂川の治水工事も行っている。
そう考えると、この場所は日照りでも水湧く場所として信仰された湧泉だったのではないでしょうか。
湧泉を崇めるならば、その聖なるポイントを示すモノ -昔は鳥居ではなかったのかもしれません- の容としては自然だと思えました。

 現在をも癒す 廣隆寺(広隆寺)
廣隆寺草創は諸説あり、定かなことは不明だが聖徳太子から仏像を譲り受けた秦河勝が建立した蜂岡寺が始まりと云われる。
『またしても秦氏だ。』 秦河勝は聖徳太子のブレーンとして、また裕福な商人として朝廷の財務に関係していた人物とされている。
霊宝殿には、国宝第一号の一つ弥勒菩薩半跏思惟像をはじめ、長勢作と云われる日光・月光菩薩、十二神将立像や、平安時代の
千手観音立像などがずらりと並んでいる。
どうやら弥勒のアルカイク・スマイルは、現代人をも癒してくれるようだ。 数多くの方々が熱心に拝している。
いずれの像も、それ以降に登場する仏像とは違い、どこか人間に近く、宗教心の無い私なんかは有難さよりも 【Art】を感じてしまう。
この微笑みはモナリザと同じだ
弥勒の微笑
Please click ! こっちは蓮
これも“蜂ス”ですね
桔梗
太子は医術にも長けていた
 庭園には沢山の花が咲き、蜂岡の名に相応しい

 どことなくもっさい 二条城
二の丸御殿 車寄の大屋根 現在の千本通 だいぶ狭くなってしまったが、
平安京の中心を右左に分する朱雀大路にあたるそうです。
大内裏は現在の京都御所の西側にあった。
二条城の大半が、その上に築かれたことになる。 
もっさい庭園でしょ !?
参考図
二の丸御殿内を見学して庭園へ
太陽が昇り、夏の暑さになる -不幸中の幸い、今回の京都は関東より涼しかった-
二条城には二条城の歴史の積み重ねがあるのだが、建物も庭も、どことなく武色が目立ち 『もっさいな~
なんせ 「京都での“戦後”とは、“応仁の乱”以降のコト」 と言う土地柄なのだ。

 鳥丸近くにて
京都の友人と合流し、腹ごしらえ “みそハーフ”は赤と白みそを半々
これは中サイズ~
キアヌ・リーブスが、お忍びで食べに来た“ラーメン新進亭”へ
白みそラーメンはコクとさっぱり感のバランスが好く、美味しかったデス
彩雲;刻々と色が変化する早朝の雲 日本画専門店 彩雲堂
顔料絵具を分銅天秤で量り売り。
老舗の構えといい、おばちゃんの客定めといい、
『京都だ~』と実感せずにはいられない。
画家と職人のせめぎあい
この烏丸の裏通りには、他にも表具・建具・生地など
日本の伝統美を支える店が並び、とても面白かった。
こういった店は、webではナカナカ引っかからない。

 ローカルガイドに連れられて
ローカルの強みで裏道多用で京の街を縦横無尽  短時間でいろいろな場所を案内していただきました
境内の井戸は名水:染井の水 茶の湯に使われる
細長い参道の両脇に萩
梨木神社
祀られている実萬・実美(さねつね・さねとみ)親子は、
明治維新時に王政復古の原動となり、御所廃止も防いだ。
帝と京都の恩人としての功績か、御所の東に寄り添うように
神社は建つ。
9月には赤萩も咲き誇る
早めに開いた白萩に 『おおきに。』
ある京都人が言った
「帝はんは、ちょっと東に遊びにいってはるだけどす。」
きっと本気だ
時代劇のロケにもよく使われるそうです 黒谷金戒光明寺(くろたにこんかいこうみょうじ)
京都の東の入口、大門寺山の麓に建つ。
この寺は幕末時、新撰組を配下にした京都守護職会津藩の本陣だったそうです。
いぶし銀瓦の大屋根を載せた重厚な山門が、京の都を見下ろしている。
京都の景観が騒がれる時勢だが、鎌倉時代からこの場所で京の都と夕陽を見てきた山門は
微動だにしない。
法然院も車で乗りつける名ガイド
しかし、哲学の道ブームなのか、狭い境内には人いっぱいで 『思索にふける_』 どこでは無い。
静かな時に訪れたい場所です
境内には野生のムササビやリスも
暮しているそうです
法然院は“南無阿弥陀仏”を唱えれば浄土へ往生できる専修念仏の開祖である法然上人の草庵。
時の後鳥羽上皇が熊野詣出の留守の間に、妻の松虫・鈴虫の両人が法然院の修行僧、安楽と
住蓮を慕って出家してしまう事件があり、安楽・住蓮は死罪、法然上人は讃岐へ流罪となった。
そして因果応報、後鳥羽上皇は承久の乱で北条氏に敗れ隠岐に流される・・・
宗教とか、男と女とか、因果とか_複雑ですね。
人いっぱい ギャラリーが併設されている寺
祇園を抜け建仁寺
1202年、栄西(ようさい・えいさい)が鎌倉幕府2代将軍源頼家の援助を得て建立された建仁寺は、日本で最初の禅寺。
桃山時代の回遊式庭園が有名で、広い畳の間で禅_ではなく、素敵な庭を眺めながらゴロリと寛げる。
開けはなった戸 風が抜け、外の暑さがウソのようだ。
螺旋の潮音庭 みんなゴロリ避暑 大雄苑
これは複製。本物は京都国立博物館に  ← 風神雷神屏風 (筆;俵屋宗達)
 枯山水の庭と言い、この絵と言い、『間って大切。』
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双竜図(筆;小泉淳) →
108畳の天井に、この絵は迫力です  
2002年、開創800年を記念して描かれた  
鈴懸の木(プラタナス)かな?
これも魔都が成す妙 !?
京都駅の南 城南宮へ 神社です。
ご神体は、女傑・神功皇后三韓征伐に用いた軍旗だそうです。
貴族の方違の宿、御所の裏鬼門封じとして、方除け・厄除けのご利益があるそうです。
現在でも、王朝文化華やかしき宴 “曲水の宴” や“夏越の祓え”が行われるそうです。
でも、もう5時です。
でも、もう5時です
高さ57m 日本最大の五重塔
夏雲をたずさえて
今日の神社仏閣巡りの最後は東寺(教王護国寺)
またしても、途方もない広さの寺院に圧倒される。
しかし、東寺では貴族の雅さは影を潜めているようだ。
弘法大師ゆかりの境内で遊びまわっていた子供達も、
 『そろそろお家に帰る時間だよ~』
ここも蓮咲く寺でした
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そして大人は黄昏の嵐山へ
夕映えの桂川のほとりで月を愛でる。
くまなき月の渡るに似る
さすが京都観光の名所。
渡月橋(とげつきょう)を大勢の人と車が橋を行きかっている。
現在の渡月橋、上手に木製にみせているが基部は鉄筋
コンクリート。 今の京都を象徴するようだ。
夕げは、ガイドにワガママを聞いてもらい、鱧を味わう。
大人;390円 也 京都の古い町には、お風呂が無い家がまだ多いそうです。
おかげで銭湯も、まだまだ現役で数多い。
友人宅そばの長池湯へ


 帝の船遊び場 神泉苑
京都二日目。 今日はローカルガイド無しでの観光だ。 朝の散歩は二条城そばの神泉苑
先に記したように、徳川二条城は平安京の大内裏跡に建っている。
平安京遷都とほぼ同時期に、大内裏の南に接する地に造営されたのが神泉苑。
天皇の禁苑であると同時に風水都市計画の一部として広大な苑だったそうです。
Please click !
夏の日出ノ刻なので、
他にはアヒルだけ
魑魅魍魎どこ吹く風、泉には朝日に照らされた木々、絢爛な殿、朱色の欄干や竜頭鷁首の舟が
浮かび、管弦の調べが聞こえてきそうな苑でした。
Please click ! 義経と静御前が出会った場とも伝わっている
その昔、ここで西寺の守敏と東寺の空海がここで祈雨の法を競い合った。
その時に空海が天竺から召喚したのが善女龍王という霊験が高い神で、以降 善女龍王は神泉苑におわすそうです。
風水・祈雨・龍王_現在でも星祭りや節分祭が続いているのも、陰陽師の影響なのでしょうか。

社殿が治された水上に鎮座している
 そして糺の森へ 下賀茂神社へ
都の北東 下賀茂神社(下鴨神社)へ
下賀茂神社は、加賀氏の祖を祀ることから賀茂御祖神社と呼ばれる。
賀茂一族が何時からこの地に住みだしたかは定かではないが、周辺から弥生時代の住居跡や土器が発掘されることから、
京都盆地に住み始めた初期の人々であることは間違い無いであろう。
“方丈記”著者、鴨長明はこの河合神社の神官の家に生まれた
河合神社
気持ち好~い
糺すの森は糺の杜
Please click !
  『糺す_ 罪・真実を問うコト…』
そんな緊張感は微塵も感じない参道は、素敵な散歩道といった様相で森を行く。
朝なので参拝者が少なく、せせらぎや木漏れ日が、いっそう優しい。
老樹の精 ぜったい動くって!
参道に並行して小川が流れる Please click !
かつては、昨日巡った “蚕の社” が、糺の杜だったそうだ - 現在そこは元糺の森と呼ばれる -
舞殿と本殿門 Please click ! 水が神聖に感じる
井上杜 京都は西に桂川、東は鴨川に挟まれている
太古、両川は命恵の神であると同時に荒ぶる神であった。
八咫烏の姿で神武天皇を導き、鴨川を崇め祈っていた倭人・賀茂氏
その後、渡来人秦氏が嵯峨に住み着き技術で桂川を治めた。
やがて両氏の利害が一致し、ここで合神したのかもしれません。
斎色強い賀茂氏は、やがて陰陽道を武器に政治の場にも進出していく。
下賀茂神社も、風水都市計画の一翼を担っているようだ。
平安京-下賀茂神社-比叡山-日吉神社-四明岳
鬼門軸上に地神-仏教-神道-道教の守護が並んでいる。
緑の森から朱色の桜門をくぐり白石敷きの境内へ。 天が青に解放される。
よしずの天蓋が奢られた“みたらし池”に足を入れしばし涼む
土用の丑の日ではないが、『禊祓』だ。

 御手洗団子の謎
幼い頃、みたらし団子を“御手洗”と書くと知った時は『なぜトイレ?』と不思議でした。
御手洗が禊祓の手水と理解した後も、『じゃぁ、なぜ団子? なぜこのかたち?』と謎は深まるばかり…
その答えが、下賀茂神社の御手洗団子です。
神社の説明によると 「下賀茂神社内で清水湧くみたらし池は、京都三代祭りのひとつ、葵祭りの主役【斎王代】が祭りの前日に禊を
する場所。その池に湧きだす水泡が一つ浮き、、やや経て三つ四つと水泡が湧きだす様を模った」のが由来だそうです。
串団子を見ると一串に五玉で、先端の団子が少し離れている。 『なるほど納得!』
でも、ここから全国に広まったとしたら、すごい商売だ。
関東モノより甘いです
加茂みたらし本舗にて
こっちも美味しかったです お参りする時は、禊ぎましょう
下加茂神社の手水は船

 ふたたび鳥丸近くにて
店内は迷宮のようでした 茶そばで鰊もオツでした
河道屋でニシン蕎麦をすする  結構しっかりした味付けでした
新京極のアーケードをぶらぶら
犬が大きい桃太郎の
手ぬぐいを購入
永楽屋 細辻伊兵衛商店にて
素敵な柄が沢山ありました

 ちょっと休憩 知恩院
八坂神社、円山公園を抜け紅葉庵を目指すも定休日。 『残念でした~』 アズキはまた今度ね~
そのまま知恩院の御影堂にあがりこみ、足を延ばして休憩だ。
お堂の中は撮影禁止
御影堂
ここも時代劇ワールド 密な組物がステキ
日本最大の山門だそうです

 甘味を求めて 祇園
甘味の欲求を満たすべく、祇園へ赴く
まだ新しいお店 ぎおん徳屋
食べきれるか?
濃厚な 宇治金時
煎茶付き
自分で焼く いそべやき

 八瀬から下洛
比叡山の西側、高野川の深い谷に、ひっそりと寄り添う八瀬郷がある。
三千院を訪れる方でも、なかなか立ち寄らない八瀬は、猪瀬直樹著“天皇の影法師”で紹介され、
歴代天皇の棺を担ぐ者として有名になった八瀬童子の里。
八瀬童子は葱華輦を担ぐ事ばかり取り上げられがちだが、元は比叡山の雑役に従事し、
天皇や上皇の行幸天台座主の輿を担ぐことを仕事とした人々だ。
天満宮なので “オヤジ” です
八瀬天満宮社内の秋元神社へ立ち寄る。
毎年10月、夜祭りの奇祭赦免地踊が盛大に行われる神社も、今は蝉の鳴き声だけが響き
のどかなもんだ。
今でも、ここから比叡山へ到る山道がある。
鬼の子・八瀬童子が通った道 『ちょっと楽しそう。』
若狭街道は途中まで。 琵琶湖大橋を渡って帰路につく。

京都を旅するのは、密な織物をほどくようだ。
横糸を積み重なった歴史とするならば、縦糸に文化がある
宗教・食べ物・工芸 切り口は幾つでもあるのだが、すべてが縦横絡み合い、そしてあまりにもDeepだ。


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