共益会館 1927年(昭和2年) -通3丁目- * 残念ながら2009年6月に取り壊されました * |
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当時の町衆の有志によって、集会場や貸し店舗を目的として建てられたそうです
特徴ある棚状のバルコニーや、噴水をイメージする装飾など、
当時からすれば日本離れしている建物であったろう
デザイナーは不明だが、今でも電線や電柱を視なければ、イタリアの路地裏に建つアパートのように思える
現在、一階には飲食店が入居されていてはいるものの、ぱっと見はボロボロ
でも、よく視ると当時の足利の繁栄と粋を今に伝えてくれる建物だでした。 |
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木村洋服店 1908年(明治42年) -通5丁目- |
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白い柱にはアカンサス(はあざみ)のオーダー コリント式に忠実だ
住宅としては『いやらしい』が、店舗 -洋服店-にはうってつけだ
実際の建物の大きさよりも、ゴージャスに見せてくれる
このお店なら、仕立て良いスーツが仕上がりそうに想えるのは、
自分勝手な想像でしょうか?
織物の町“足利”だけに、高い技術がなければ洋服店は開けまい
しかし残念ながら、ウインドーにスーツは飾られていたが、
テナント募集のプレートも出ていた |
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谷医院 1928年(昭和3年) -通5丁目- |
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四角い建物全体が安定感を、そして窓周りの
ラウンドが優しさを演出しているようだ
建物と一体化した直線の雨どいの組み合わせが、
現代の自分の視点からも斬新に思えた
窓枠や格子は木製のままだ
現在も耳鼻咽喉科の医院として開院しているようでした |
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牛乳屋さん |
牛乳がスーパーで買う物となって久しい
もちろん、今でも毎朝 配達してくれるシステムもあるのでしょうが…
このお店は、店前に新しい牛乳ビンが積み重なっていたので
昔ながらの営業をしていらっしゃるようだ |
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花乃湯 +α -巴町- |
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こちらも懐かしい銭湯
地元でも時々銭湯に行くが、スーパー銭湯ばかりで、こんな宮型造りの銭湯はもう無い
反り付きの屋根・高い吹き抜け・木枠の窓 『粋だね~』 銭湯って 今、幾らなんでしょう!?
丁度、銭湯の横に旧車が停まっていた もう気分はタイムスリップ状態だ |
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耳鼻咽喉科医院 |
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ここも現役の耳鼻咽喉科医院のようだ
大谷石の塀に囲まれた建物は、シンプルさが好印象
玄関横のハートマークの“樋受け”が、かわいいアクセントだ |
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蔵風土(クラフト) 元;足利公益質蔵 -奥の院通り- |
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足利の、かつての公益質屋 足利屋
-公益の質屋さんというのも、今となっては不思議だ-
その土蔵と石蔵を、工芸品の販売や伝統体験をうたった
店舗に改装したそうだ。
漆喰と大谷石造りの蔵 白と黒の対比が面白い。
足利の建築物には、大谷石を用いている物が多いが、
当時は、漆喰や木造の何倍も建材費がかかったことでしょう
産地が 現;宇都宮市と近いのも理由であろうが、
大谷石は耐火性が優れているためであろう。
平成19年3月10日まで再改装中のようだ |
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松村写真館 1921年(大正10年) -大門通り- |
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足利のモダンレトロを代表する建物だと想う
もちろん現在も写真館として現役だ
石材による全体的なスクエアー感と、中央上部の紋章のレリーフが
“はいから”という言葉をイメージさせる
玄関前が広く空いているのは、当時 人力車用の車止めがあった名残。
当時の人々にとって、「写真を撮る」ということは
ビックイベントだったのであろう |
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大門通り近辺 |
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八雲会館 八雲神社の横
屋根形状が、「いかにも!」と表現している |
個人住宅
包むような屋根の見切 トタンも斜に貼られている |
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はせがわ -伊勢町- |
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足利の町を歩いていると、喫茶店が多いことに気がつく
スタンドチェーン店ではなく、個人経営のお店だ
ここもそのひとつ 喫茶と洋菓子のお店
せっかくなので“リンゴのワイン煮”を頂く 深煎りのCoffeeと良く合う
「建物は30年ほど前の物」 とオーナーの方がおっしゃっていたが、
なかなかどうして味がある 次回は自慢の“びーふしちゅう”を頂こう |
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JR足利駅 1933年(昭和8年) -伊勢町- |
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織物生産地が多かった当時の両毛地方
製品を迅速に輸送するために、最初は民間によって鉄道がひかれた
それが後に国有鉄道 現;JR両毛線となった
とてもスマートな駅舎だ
センターの時計台にはレリーフ風の意匠が施されている
写真が無いが、駅舎全体も機能的にまとまった構成に感じた
両毛線の駅舎には、モダンでレトロな物が今でも数多く
残っているそうです |
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個人住宅 |
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スペイン瓦の出窓に黄色のスクラッチ
-レンガではないようです-
ちょっとライト風 |
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金剛閣 1892年(明治25年) -富永公園- |
足利の町を見下ろす高台に
灯台のように建つ塔
四階建て+最上部に漆喰の六角堂
当時、レンガ建築で富豪になられた個人が
私財でこの辺りを公園としてを整備したそうだ
でも、レンガでなく大谷石製なのはナゼ!?
荒々しく削り出された石の表面と相まって
監獄のように思えた |
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相生幼稚園 -相生町- |
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木造トタン屋根の幼稚園
自分が通っていた小学校も、最初はこんな建物だったコトを思い出した
ロッジ風の半切妻屋根が端正で、いかにも学校らしい
窓の上に丸穴は、ストーブの煙突の名残
この園舎は、もう物置状態のようでした |
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株式会社トチセン 元;足利織物株式会社→元;明治紡績株式会社 1913年(大正2年) -福居町- |
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第一次世界大戦の軍需景気の時代には600名の人々が
綿織物の一貫生産を行なった大工場だったそうだ
現在も、化学フイルムや染色業の㈱トチセンの工場として稼動している
やはり赤レンガは、文明開化の象徴なのかもしれない
1999年 有形文化財指定 |
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アンタレススポーツクラブ 元;足利模範撚糸合資会社 1903年(明治36年) -田中町- |
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輸出向け絹織物生産の模範工場として当時、国が設立した工場
現在は取り壊しを免れ、民間スポーツクラブとして
再利用されている
ラウンドトップウィンドウや斑の石がイイ味を出している
どことなくドイツやオランダの工場を想像させる外観だ
現代の街中でも、こんなパン屋さんやケーキ屋さんがありそうだ
1999年 有形文化財指定 |
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織姫神社 1937年(昭和12年) |
徒然草にも謳われた足利の織物
その歴史は1200年余と言われています
元々、織姫神の信仰があり、そこに織物産業による好景気
昭和のはじめに、有志の力によって新社殿を建設
足利の町を見守るように小高い丘の上に建つ神社は
シンメトリーが持つ美しさを、ライトアップによって強調する
近年は糸を編むと言うことで、縁結びの神として
人気があるそうです
1999年 有形文化財指定 |
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足利商工会議所 足利銀行 旧;本店 1958年(昭和33年) -通3丁目- |
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長年、足利金融の中心として使われた風格ある建物を、近代風にアレンジ
現在は商工会議所となり、観光情報のインフォメーショーンセンターやミュージアムなどとして再利用されている
地下の貸金庫室を改造した展示室や、街路を優しく照らすガス灯がレトロ感を盛り上げてくれる |
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中橋 1936年(昭和11年) -渡良瀬川- |
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足利の町は利根川の支流 渡良瀬川によって南北に分かれている
現在でこそ数本の橋が架かるが、最初に架けられたのがこの中橋
東武線の足利市駅は渡良瀬川の南にあるため、
国と東武鉄道が共同出資したそうだ。
夜になるとライトアップされ、浮かび上がる鉄骨組みが、
モダンアートのようでした |
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そして時代は進み、すでに繊維産業は化学繊維中心となり、足利は核産業を失った
人々の暮らしも、他の地方都市同様に、移動は車中心となり、大型資本の店で買い物をするスタイルに変貌した
川の南側に新国道が通り、住宅地が開かれ、経済・生活の中心はそちら側に移行したようだ
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今回これらのモダンレトロの建物紹介したのは、
『昔は良かった~』と浸る気持ちでも、建物を文化遺産として保存してほしいと言う願いでもない。
ただ、今回紹介したモノに、今の大量生産・消費経済の商品が持っていない、
求め・創り・使った人達のソウルを感じたのだ。 そういったモノは、時代に関係なく美しい |
【 松村写真館 】 |
*2009年7月追加 *
遺蹟図書館 1915年(大正4年)-足利学校併設- |
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足利学校が学校としての役目を終えた明治、足利学校の貴重な書物を継承するために建てられたのが遺蹟図書館。
瓦屋根にレンガを漆喰で仕上げた外壁、モダンな窓枠や樋、そして向拝のようなポーチには格天井や蟇股が意匠的に使われてい面白い。室内も和様折衷の建具や意匠が、いかにも大正ロマンです。
本や資料の貸し出しはNGだが、閲覧は一般公開能なので、実際に図書館に入ってみる。
蔵書は三万冊を超えるそうだが、割と偏った本が多いようだ。
しかしこうやって、この建物本来の役割を今も果たしているのは大変好感を持った。
秋には本の虫干し;曝書(ばくしょ)が行われる。 |
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