楽しきもの ;海のものとも山のものとも
2006/10/24 up    
飛騨巡り
飛騨高山の秋祭 ~ 白川郷 ~ 飛騨古川
2006/10/9~10

10月9日(mon.) 晴
 今日の日暮れには、飛騨高山の宵祭だ 早朝から、高山の町をぶらぶらする
【朝市】
 高山の朝市は、“組合”が成り立つほどの規模と賑わいをみせてくれる
今日は祭りのため、川沿いの朝市はテキ屋が占領している 陣屋の朝市に向かう。
季節の山の幸や農産物、そして特産品がところ狭しと並んでいる 観光客は勿論、意外と地元の方々も稀な食材を求めて足を運ぶ。
洋梨をひとつ買う 大声で井戸端会議をはじめる店のオバチャン達 側で食べながら日本のbazerを楽しむ。
オバチャンと客のやり取りも楽しい 珍しいトチの実 季節の物が色々並ぶ
カラフル南瓜 みずみずしく甘い洋梨 ¥100/個でした 初めて見た スクナかぼちゃ
【古い町並】
 高山には有名な観光地 古い町並がある 南に美濃、北に越 そして東西の交通や文化の十字路として、古くから栄えた町人文化。
現代の町として高山が好いのは、町を東西に割る宮川の流れによって、観光と生活を分離し、古い町並を観光に上手に取り入れている点。
老舗の酒蔵やお味噌やさん・現代の匠が開く工房やギャラリー・和風の喫茶店など、ぶらぶらしているだけで楽しい町だ。
美観保護の制約もあるだろうが、ここの町民は“お上”に言われるもなく、町の好さを楽しみながら暮らしている。
中橋 桜と春祭で有名 早朝 まだ人の少ない古い町並 情緒ある駒寄 秋雲と宮川の流れ
軒に緑 onclick! 意外と奥深い敷地
洒落た空間 手風琴 現役の型板ガラス、すりガラス&和紙 アサガオと漆喰壁 桜橋
【高山商人】
 高山は武家城下としてよりも、商人の町として栄えた 現存する吉島家を見学する。
吉島家は代々酒造業を営み、後に生糸繭の売買などで栄えた高山の豪商 この屋敷は明治の火災後に再建された物だ。
 狭い入り口を入って、いきなり吹き抜けの空間に浮ぶ、立体格子の美しさに思わず感嘆の声
立体格子は陰影と奥行きで、広く 高く感じさせ、格子目も実際より多く見える。 
直線的な構造なので〔きりっ〕とはしているものの、同時に木質の〔和らぎ〕も感じられる。
高窓から差し込む日の光、そして囲炉裏からの煙のただよい 木肌や木目が優雅に移り変わってゆく様は、C.W. Mooreに「地球を半周して観にくる価値がある…」といまわしめたそうだ。 当時の名工や主は、この現代にも通じるモダンな空間を意図していたのであろうか?
吉島家の玄関 酒林が下がる onclick! 何年の10時10分!?
広くも、小さくも使える日本の家 これは別の高山商人宅 松本家 縁側でたそがれて
【飲む・食う】
 『この辺に美味しい蕎麦はありますか?』 高山の方に尋ねると、紹介してくれたのはラーメン屋さん... そんな笑い話もある 高山では、そば=中華そばを指すのだ。 今でこそすっかり有名になった飛騨高山ラーメン 自分が出会ったのは、まだ全国区ではなかったその昔
『自分好みの味』 初めて口にしてから、すっかり惚れ込み高山を訪れるたび必ず頂く。
 高山のラーメンは、にぼし&ガラのさっぱり醤油味 縮れた麺に、そのスープとシャキシャキの葱が絡む、まさに中華そば
-私は最近の“背油系”のラーメンは、あまり好みではない-
今日は祭りだ 昼間っから造り酒屋で一杯やり、ラーメンをすする “高山ラーメン”は、この町同様に 『懐かしさ』を思い起こさせてくれる。
酒蔵【山車】の濁り酒 【鍛冶橋】のラーメンは、蕎麦つゆ系 葱との相性よし 手焼きのおせんべいは熱々 【船坂酒造】で甘い源酒ヲ
みたらし団子 炭火の手焼きに醤油 これで一本¥60 丁度好い挽きの生地に胡桃ダレの五平餅 【あぶらえ】にて これぞ高山ラーメン 夜は【つづみそば】で
【屋台】
 高山の秋祭 -八幡祭- は、日本書紀に記述が残る【宿儺の乱】 五世紀の初めに仁徳天皇が、難波根子武振熊(ナニワネコタケフルクマ)に両面宿儺(リョウメンスクナ)の討伐を命じた際の戦勝祈願祭が始まりと伝えられている。 縄文系の自分としては、両面宿儺を応援したい気になりますが… 事実、飛騨や美濃の各地に残る伝説によると、両面宿儺は姿は両面・四手四足の異形なれど、司祭者であり、農耕を広めた者として人々から“宿儺さま”と崇拝されていたと聞きます。
 しかし、現在の高山の秋祭は、そんな逸話とはまったく無縁で、毎年大勢の方々が訪れ、屋台や祭行列の時代絵巻の伝統行事に酔いしれる。 午前中は、桜山八幡の表参道に10台の屋台が曳き揃えられた。 粋の象徴で有るが如く、整列した屋台は、みな誇らしげ。
たいして、周りには観光客が溢れ、自分も含め右往左往している
 よく屋台や山車がヒンズーの寺院に似ているという説があるが、高山屋台の遍歴を調べると、文政期(1800年代 前半)に現在の形ができあがるまでは、単層だったそうです それを他よりも、「より美しく より目立とう」で高山人が発展させてきたのが現代の屋台の姿。
 秋の祭りは町の北側、春の祭りは南側で行なわれ、そして各屋台には担当の班があり、代々磨き上げてきたその屋台を披露するのが祭の日なのだ。
 秋の祭りでは、日中の屋台曳き廻しを観ることができる
秋晴れ、優雅な雅楽の音色 古い町並み きらめきながら、ゆっくりと進む屋台は『豪華絢爛』という言葉がぴったりだ。
普段は各専用の蔵に収まっている 屋台曳き揃え 伝統美 工芸美
近くで見るとゴテゴテしていそうだが、動くとそんなにイヤミは無い 木目が美しい兎 手の込んだ彫りの亀
〔ピーヒャラ ドンドン〕ではなく、ゆったりとした雅楽 動く屋台 もちろん人力です 夕刻になると、宵祭の飾りつけが始まる
【匠】
 屋台の豪華さを支えたのが、高山商人の財力と、匠の技だ。
木工・彫刻・漆・細工金物・陶・和紙・織物・・・ 今でも、その伝統技は受け継がられている
匠達の手から生み出されるモノは、アートでは無く日常を考慮した物  しかし、時に日常品を越えた美しいモノとなる。
藍に刺し子 単純そうで複雑 カラクリ千鳥格子 和ロウソクと蜀台 共に手作り 材料も、技もすばらしい出来栄えの椅子
渋草焼 白地にシャープな藍に品がある 高山には鉱物屋なる店があった 思わず買ってしまった菊石 これも自分のお土産 蛙と茸の根付
【宵祭】
 秋の雲が夕暮れを告げる頃、祭りのため町に掲げられた提灯に灯りが入れられる。
宵祭見物のため、軒をお借りした家の娘さんが言う 「小さい頃は、屋台の上に乗せてもらったわ」
屋台が近づいてくると、観光客の自分より落ち着かない様子だ。
 『来た』 昼間と違い、沢山の提灯が装飾された屋台は、彫刻作品のライトアップ同様に奥深さを強調させている
電気の明かりではなく、ロウソクの灯かりなので、幻想的で、祭りなのにどこか哀愁を帯びている行列だ
騒いでいるのは観ている者達だけで、こんなに大きな屋台なのに、雅楽の調べと共に、11台の屋台が静かに そしてゆっくりと進んで行く
屋台の上から、子供が手を振ってくれる 振りかえす 『いつまでも、自分達の楽しみとしてね』 そう願う
素敵なコトを予感させる夕雲 祭提灯 いよいよ宵祭だ 曳いているのは、その屋台の担当の町の方々 装束に身を包み、時代絵巻の一部になっている
秋の屋台11台がゆっくり進む 曳き別れ 各蔵に帰ってゆく onclick! 普段は日が暮れると、ひと気の無くなる高山の町も、この日ばかりは遅くまで...


10月10日(tue.) 晴
 今日は好天だが、明日は天気が悪そうなので、山には入らず白川郷まで足を延ばす。 といっても、今は御母衣ダム沿いの道もすっかり整備され、辺境白川郷も、高山の町から車で1時間ちょいのドライブだ
【白川郷】
 世界遺産に登録されてから、初めて訪れる
世界遺産のポリシーは大切だが、文化的遺産 特に普通の人々が暮らす町や建築物を、昔と同様に保つのは大変だ。
突然、自分の家に毎日沢山の観光客がやってくれば、商売をしたくなるのは人の常だ 合掌の建物は、イロリの火が絶えると、たちまち痛みだす 白川郷は世界遺産に登録され、失ってしまったモノがはるかに多い。
 もし、人々が白川郷を人類の遺産としたいのであれば、観光利益を求めないでも郷の人が生活できる保障をせねばなるまい。
《すぐに儲けにならないものの中には、貴重なものがいっぱいあるのだ。生命の世界もそう、それに景色だってそうだ。なんの儲けになるかと思っているかもしれないが、それがいまにいちばんの貴重品になる時代がやってくる。景色を譲らなくっちゃいけない。その景色の中に生きている、生命の世界を金儲けの魔力から譲らなくてはいけない。  -南方熊楠 /中沢新一【森のバロック】から- 》
来年には、飛騨トンネルが開通し高速道路でのアクセスが、ますます容易となる…
 僅かに残る普通の合掌民家 洗濯物を干したり、子供の玩具が花咲く庭先に転がっている
『ここでの昔しながらの暮し』 やがてそれもできなくなるのであろう 苔が生え、痩せた茅葺き屋根を見送る。
前夜が冷えた朝、萱葺屋根からは水蒸気が昇る 合掌造り 萱葺と稲干し 軒先に唐辛子
郷をテーマパークにしないで... コマジリ 神田家は、合掌住宅の内部や構造を拝見できる 神田家の囲炉裏の火は絶えない
花咲く庭先 昔ながらの郷の生活 朽ちてゆく世界遺産 onclick!
【飛騨古川】
 朝の連続テレビ小説で有名になった飛騨古川を初めて巡る。
瀬戸川沿いの白壁土蔵の細道は、観光用に整備されてはいるが、観光用と思えるのは鯉のエサ箱だけ それも目立たぬよう工夫され、在るのは、綺麗な風景と酒仕込みの香り 他に観光客はあまりおらず、静かにゆっくりと歩ける。
 それにもまして自分が気に入ったのは、白壁土蔵街の外れの方に多い普通の住宅。
玄関の前には白壁土蔵街と同様に瀬戸川が流れ、建物は土蔵や蔵、格子窓を残しつつ、所々を現在のパーツでReHomeしてある
電柱も建ち、車も走る 人によっては、そういったモノを排除したがるが、自分はこの現代と昔が混沌としている雰囲気が好きである。
高山にも、白川郷にも家のすぐ横に流水があった 流れる水は、消火は勿論、夏には涼を 冬には融雪と、飛騨の暮らしには欠かせないモノなのであろう。
白壁土蔵の細道 石造りの建物との組み合わせも素敵 格子窓から臨む瀬戸川 軒下の装飾 【雲】 色々な形が、今も伝わる
蛙の飾りがある墨壺 飛騨といえば箸でしょう このデコレーション! 普通の家なのに ここが 【さくら】のロウソク屋さん
あれをまとい、太鼓を叩くのかしら 『この小道の先には、ナニが待つ!?』 周囲との調和 〔相場〕を大切にしてきた町並
朴葉味噌 with 飛騨牛を頂く 【味処 古川】にて お肉の下に味噌がある 山椒の実が美味しかった 本光寺 堂々とした木造本堂 獅子と獏 ちゃんと阿吽がある
土蔵の窓が… 開いていると… 思わず覗きたくなりません? 律の美
 高山では、混んでいて食べられなかった“朴葉味噌”を食べよう
朴はモクレンの仲間なので、炙ると葉の上に乗った味噌によい香りが移る
しかし、なんといってもその葉の大きさと耐熱性が昔から重宝がられていたはず
野良や山仕事の合間に、拾った朴の葉に味噌と、そこいらの山菜を包み炭で炙って食う それがご馳走だった時代がを羨ましく思えてきた。

 春には飛騨古川祭が行なわれる 高山同様に絢爛な屋台と、勇壮な【お越し太鼓】の祭りだそうだ
ぜひ次回は、雪解けの頃に このすてきな山里を訪ねよう。
一日置いて、10/12~13 紅葉と雪のコラボレーション 笠ヶ岳を歩きました  山のもの;笠ヶ岳
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【宵祭】
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【飛騨古川の暮らし】
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