楽しきもの ;海のものとも山のものとも
2006/08/18 up    
日本海 水巡り;親不知~黒部+富山
2006/08/06(sun.)~07(mon.)
 2006/08/06 (sun.)
親不知(オヤシラズ)海岸
 北アルプス・白馬~栂海新道を降りると、そこは日本海・親不知
一緒に下山した方々と海水浴を楽しんだ。 またいつか 何処かの山での再会を願ふ


親不知は北アルプス最北の地
海岸 アブ注意
 唐松岳から5日間 直線で約35kmの山行が終了し、もう身なりはボロボロだ。
さっさと温泉にでも入って、帰ればいいモノを 翡翠の海=日本海に見せられて~
そして当webのタイトル 【海のものと山のものとも】に従い、ココからは海行です。
 まずは洗濯。 幸い この海岸には流れ込む真水があるので、山の汚れ物を洗って岩の上で干す。
ついでに、山食の残り“杏仁ぜんざい”も、その流れで冷して食す 『甘味がたまらん!』

 お昼を過ぎ、乾かなかった洗濯物をザックに結び、海岸からの階段を登りだす
白馬から同じコースだった女性二人組も無事やってきた 階段の途中で笑顔で挨拶 『おつかれさまでした』

“杏仁ぜんざい”も良く冷えた

海ケルン 丸く薄い石が多い

旧トンネルはタイムトンネル

親不知コミニュティ道路
 ホテルの海側 トンネルが出来る前の旧道が、今は歩行者専用の遊歩道になっている。
あまり登山家らしくないポーズのW.Weston像を横目に、車どころか誰もいない遊歩道を西に歩きだす。
 親不知・子不知 源平の時代、越後に流された平頼盛の後を追った夫人が、懐の子供を この難所で波にさらわれたのが由来と言う
 《親しらず 子はこの浦の波まくら 越路の磯のあわと消え行く》 悲嘆の夫人の詠んだ歌
「あまりにもの険しさに 親は子を、子は親の面倒まで看きれない」 とは少し違う。
 【天険】 親不知で一番険しかった場所 北アルプスの最北端100m以上の断崖下の路。
この崖を削った路が出来るまでは、断崖と日本海の荒波の僅かな間をぬう命がけの通行だったのであろう
明治16年に絶壁を削り 天険の上に、この旧道の基礎が完成した。
《如砥如矢(とのごとく やのごとし) =砥石のように滑らかで、矢のように速く通行できる》
当時の人々は喜びの言葉を一枚岩に刻んだ。
 見下ろす今日の海は、穏やかで翡翠色 昔人の苦労は微塵も感じられない
むしろ、 現代の自分が苦労するのは  この先の路。
コミニュティ道路の先 国道は、トンネル状のスノーシェードに覆われた 車幅分しか無い。

翡翠色の海

北陸道 国道8号線

スノーシェードの上 現代の親不知
ましてや国道8号線は北陸の主要道路 大型トラックが、凄いスピードで走っていて、荒波の代わりに人を巻き込もうとする
『国道に、安全に歩ける場所はナイ。』
さて、下の海岸の遊歩道もあるが、崖崩れ工事のため歩けないようだ

スノーシェードの上を行くことにする -本来は関係者以外立ち入り禁止だそうですが、自分の身は自分で…
スノーシェードの上は土が乗り、草が生い茂っているし、ふみ跡もある 丁度海岸に並行する崖上の廊下路。
幅は広いが、少しは昔人の気持ちを味わいながら 一振を目指す。

一振(市振)
 《一家に遊女もねたり萩と月 / 芭蕉》 奥の細道にも登場する地
旧道沿い 漁業だけではなく、宿場の面影のせいか どこかキリッとした きれいな印象の町だ
その好感を引き立てる、黒い瓦の住まいが多いのは雪国の特徴だ 『でも、夏は暑くないのかな?』
【海道の松】
 東からの旅人は、この松を目印に海岸に降りて親不知に向かい、西からの旅人は、難所を越えた事を実感して一振の宿へ入った。
『なんて見事な!』 ランドマーク的な美しさを持ちながらも、ちょっと控えめな枝の伸び方に感心する。

 地元の人々は優しい お年寄りも子供達も、こんなに怪しく小汚いのに、軽く会釈すれば、
「お兄ちゃんどっからきたの? どこ行くの?」 「そりゃ難儀なこった」 と話しかけてくれる
宿場町の伝統を想ふ
 市振の駅はホームに立つと、海と港が見える無人駅 冬に訪れたら誰もが思わず 『演歌~♪』を口ずさむであろう
一振の関は【道の駅】になっていて、関の史跡は見当たらなかった。
 
【上路十二社(ジョウロ オミヤ)】
国生み神話を起源とする十二なのか、なにか別の権現的なポイントのひとつなのかよく解らなかった

自分に解ったコトは、社殿の木彫り雲竜が、のびのびとした、素晴なモノと言うコトぐらい。
越後から越中に入る
登り、歩き、そして、降りて来た山々が
境川谷の奥に見える

『はいはい また登るのね』

護国寺の日本庭園

古い地蔵並びは味がある
 護国寺は古刹の雰囲気を残しているものの、今も地元の方々のヨリドコロのため、半分は現代風である。
これは、これでヒトの歴史だ。 『しかたない』 長い石段を下り、また旧道を行く。
 気温はおかげで34℃くらいある 足元はアスファルト熱で暑いが、海沿いの風が吹抜けるため、なんとか歩き続けられる。

ヒスイ海岸
 目的地のひとつ【栄食堂】に到着 ここのたら汁は格別だそうだ お昼を大分過ぎているので すぐに座れた。
さっそく【たら汁定食〈¥1,100〉】を頂く アルマイトの鍋ごと〔どーん〕
具はタラとゴボウに青ネギだけのシンプルな味噌汁なのだが、『メチャクチャ美味しい~』
丸ごとのタラのエキス -おそらくお酒と- 白味噌がソレを引き立てている そして『白米が旨い!』 タラの頭までしゃぶりつく。

一杯目はお店の方がよそってくれる

THE たら汁

グロイ? ここが旨いの!

運ちゃん御用達 夜の栄食堂
 栄食堂のすぐ先に 【朝日ヒスイ海岸オートキャンプ場 / 0765-83-0106】がある。
テントひと張りで¥2,100(!) 山から下りてきた者にとっては法外とも思える利用料
本来はオートキャンプ場で、コテージ、ランドリー、シャワー何でもある設備
そして、サイト横にはヒスイ海岸_ と完璧なロケーションとなれば 『いたしかたない。』
ゴルフ場のような芝生広場のど真ん中を陣取り、堂々山テントを張る。 一般の方は、当然 松林の中でサイトを広げている
 【ヒスイ海岸】 ここ朝日町は ゴールドラッシュならぬ、翡翠ラッシュらしい。 あちらこちらで ヒスイ“タラ の文字が目に付いた。
浜に出てみる 親不知の海岸よりは、はるかに小振りの砂利敷きの海岸
多くの方が、海岸で翡翠を探している 翡翠の原石がゴロゴロしている訳ではないが、運がよければGetできるそうな
拾った石を キャンプ場管理のおじさんに鑑定してもらう子供の姿が かわいらしい。
自分は、海岸の風景をスケッチする
太平洋側に住む人間は 日本海に立つと方向に戸惑う事がある。 しかし点ではなく、線の旅だった為 『海は北』 インストール済み。
夕焼けが始まった 筆を止め、日本海に沈む太陽が赤色に大きく膨らみながら、雲を染めてゆくのを、しばし見入る

今夜の寝場所

親不知方向はガスっていた

 陽は沈んだ
この辺りは湯処でもある 鉱泉が主だが、栄食堂の前にあった
 -かけ流しの看板が目に付いた- たから温泉に浸かるとしよう。
 【たから温泉〈¥500〉08:00-20:00】
『何日ぶりのお風呂かしらん!?』 山行の汚れをかき落とす
強い塩味の湯を湛えた、大きな露天もあってユッタリできる。
 テントに戻る 今回の山行中は、馳走になってばかりだったので、余った食料を食べて 荷の軽量に努める。
海風のおかげで、蚊も出ない。 テントの出入り口を蚊帳にすれば気温以上に涼しい
 このキャンプ場は、 真横にJR北陸線と国道8号が並び、線路は貨物・道路はトラックと24時間稼動している
まぁ、停まっていればドコでも寝られる性格と、山行の疲れで熟睡する。


 2006/08/07 (mon.)
ヒスイ海岸de翡翠探し


『間違いなく…』

翡翠にも 負けない美しさ
 翌朝、自分も翡翠探しにチャレンジする。 が、『これがそう?』 レベル やはり素人には難しい。
翡翠ではないが、カラフルで綺麗な石が沢山あった。 スケッチを仕上げよう。
*翡翠について少し調べてみる*
 翡翠が採れるのはミャンマーやチベット そして日本の糸魚川流域と、世界的に見ても産出が稀な宝石である。
翡翠の玉と言うと、日本では まず勾玉(マガタマ)を連想する方も多いであろう。 その原材料である翡翠が、日本で採出されるのが立証されたのは、実は昭和の時代になってから。 それまでは、加工されたモノは発掘されていたのに、原材料が見つからないため、他国から輸入された可能性も唱えられていた しかし、中国の玉とは鉱物的にも違うため、その経路や文化、加工技術が長い間、謎とされていた。
 糸魚川に居を構えていた、文士・相馬御風氏、
 《沼名河之 底奈流玉 求而 得之玉可毛 拾而 得之玉可毛… =沼河から出る、流れの底に沈んでいる玉を、どうやってでもほしい 河底を這ってでも、拾い得たい…》という万葉集の歌や、古事記の 《出雲の大国主命が 越の女神・沼河比売(ヌナカワヒメ)に求婚する =沼河は越の国(高志ノ国)に通じる》内容から、氏は「翡翠は必ずや、越の国の河底にあるに違いない」 と確信し、求め、ついに想定した糸魚川の流域で翡翠を発見した。
 この発見により、勾玉は日本の材料を用いたモノであり、日本海を中心に、広く東北まで及んだ勾玉文化も日本独自の文化であることが立証されたのである。
 翡翠は【緑のはがね】と呼ばれるほど、硬くて重い
そんな加工しにくい材料を、勾玉の形状に整形するのは縄文の時代には、高度な技術が必要であっただろうし、そもそも磨かなければ宝石にならないモノ、その知識をいかにして見つけ出したのであろう?
縄文から弥生、大和の時代に移り、いつしか忘れさられていた日本の翡翠
 -発見当時、地域の村の家では、翡翠の原石を漬物石にしていたと言う逸話もある-
そんな中、万葉集の歌や古事記をヒントに翡翠を探し出した、相馬氏もロマンチストだ。   参考;虹の結晶/秋月 瑞彦 著
 テントをたたみ、越中宮崎駅へ ここも無人駅 ホームで30分ぐらい のんびり列車を待つ。 列車に乗り、二駅先の入膳駅へ向かう。
列車が泊(トマリ)に出ると景色が変わる 今までの山→直海の険しい景色から、一転して黒部川が創った平野が開け、住宅が増えてくる。
泊とは 親不知の難所を抜ける前に泊まるという意味なのか、この先は切り立った海岸線のため「もう、行き止まり」の意味なのか?

入膳(ニュウゼン)
 列車を降りて駅前に立つ 入膳はかなり大きな街だ 駅前には商店があり、清い水を利用した大規模な工場も複数建つ。
しかし、駅前から少し歩くと、望んでいた多くの水路が走る豊かな田園農村風景が広がってきた。


杉沢の沢杉
 海に向うと【杉沢の沢杉】の森がある。
もう海まで100mも無い場所で、清らかな水が沸く 杉の杜。 杉の木の幹元は沢床、すなわち 沢の流れの中から大きな杉が生えている
苔や羊歯も生い茂り、独特の生態系のようだ。 *スギの伏条現象と言うそうです*
かつては、この一帯の多くが このような状態だったらしい。 今は 天然記念物として この杜だけが保存されている。
 杉沢の木陰で涼み海岸に出るも、そこはテトラが置かれた人口的な海岸だった *この地区は海岸侵食が激しいそうだ*
今度は田園の中を、黒部川の河口めざし歩き始める。
 それにしても驚くのは、防波堤の直前まで水田がある 『水の流れの豊かさ、強さの象徴か』
畑も時々見受けられる 畑の土は、白馬鑓ヶ岳と同じライトグレー色だった。
 田んぼの中道を、昨日より強い日差しとアスファルトの照り返しを受けながら歩き続ける。
『とんでもなく暑い』 今日は風も無い 手持ちの温度計は既に体温値に近い
のぼせた状態で、田園の中を〔クラクラ〕しながら歩いていると湧き水がある
 飛びついた
ポンプで汲み上げている訳でも無いのに、水があふれ出ている 水はひんやり冷たく、まろやかさのなかにも引き締まった感がある。
市販のミネラルウォ-ターは勿論、山の水よりも美味しい 〔ガブガブ〕と飲んだ後、ふと想う 『今の自分だから美味しく感じるのかしら?』
また一口飲む いや自分の感性を信じよう 『こんなに旨い水は初めてだ!』 潤い、生き返る。
少し先の 【五十里】と言う地区に 再び水場がある 今度は、少し整備されていて、小さな公園 屋根のあるアズマ屋だ
やはり水が噴出している 荷を降ろして、今度は頭から浴びる 『幸せ~』 無論、先と同様に美味しい水だ。

今まで飲んだ水でNo.1
この辺りの稲はこの水で育っている
昨日の栄食堂の白米 アノ旨さに納得だ

園家山の野外舞台
 葦の池側にも水場があった
湧き出る水 この幸せ
 この辺りの家は、各家に【my 湧き水】がある。そのおかげで水道代も、スイカやビールを冷す冷蔵庫の電気代もかからない 上手に使えばクーリングハウスも可能であろう。
しかし今、この豊かな自然の恵みを維持するためには、水道代や電気代以上のモノが必要なのかもしれない。
 お百姓さんは、炎天下の時間は外では働かない。 しかし、お盆が近いためか墓参りをされている方が時々いらっしゃる
田園のど真ん中、それは立派なお墓が何箇所もある 豊かな先祖代々の土地で眠り、都度 子孫が御参りする
『人間らしい強さと弱さ…』 などと思いながら、また歩く

黒部川
 濡らしたタオルで、時々首や手足を冷却しながら行く
流行の【入善・深層水センター】はタラソテラピーもある公共運営 -今日は月曜のため休館-
館の前の自販機でペットボトルの深層水を買い込み、飲んでみた
『ミネラル分というより、脱塩した薄い海の味』 身体や美容にはイイのかもしれないが、今の自分にとっては、先ほどの湧き水の方が、はるかにありがたかった。
 海岸に出る と、そこには 沈み根-カケアガリ-潮流 素人目にも素晴らしいフィッシングポイントに見える
今度、日本海に来る際には 『絶対竿を持ってくる』 と誓う。
 小さな漁港を越すと黒部川が海になる堤の上に出た
山と海の距離が近いからであろう 自分が普段目にする河口と違って、大きめの石がゴロゴロしているし 流れも速い
中洲には、かなり大型の鳥達が集まり、サンクチュアリーをなしている。
 

入善沖3300m水深384mの深層水をブレンド
弱アルカリ 平均硬度140だそうです

日本海も真夏だ

橋から見た黒部の流れは、
まさに翡翠の帯のよう
  *黒部川扇状地湧水群*
 巡った入善 この先の生地は黒部川を母に、北アルプスを父として生まれた扇状平野の端部にある。
山に大量に降った雨や雪 山はそれを夏でも雪渓や地下水として大量に蓄えているし、地表を流れる水は、立山連峰と後立山連峰の間 2,000mに及ぶV字形の深い谷に集まり、急勾配で駆け下り黒部川となる。
 その黒部川が運んだ堆積は、宇奈月を頂とした扇頂角60度、頂から端までの距離が13.5kmの典型的な扇状地形“黒部四十八ヶ瀬”を形成した。
 水は硬い岩の間を流れるため、その水質はカルシウムや鉄などの成分が少ない清らかな軟水。
その流れの一部が、平野部の地下でさらに ろ過されて、古来より“清水(ショウズ)“と呼ばれる、湧水や自噴水 となって、先ほどの自分のように人々や農作物を潤し、また工業用水として使われている。
 地下水は、地上だけでだはなく、海でも湧き出している。 富山湾は、北アルプスのの延長線上 深さ1000m すなわち、高低差4000mという大起伏の地形を成している。 黒部の水は、その深海で湧き出て、淡水性のミネラルを供給し、豊かな海の一役を担う 白エビ、ホタルイカなどの独特の海の幸が獲れるのも、この清水のおかげだ。

生地(イクジ)
 ようやく生地の駅にたどりつく。 駅前の木陰で休憩しながら、観光案内に目を通す
今度は黒部の山と川、そして日本海の恵みである海の幸を味わおう 黒部漁港に向かう。

源兵サの清水

【生地中橋】 魚船の入出時に旋回する可動橋
 漁港の目の前に立派な【魚の駅 生地】がある 公共営業の レストランと海産品直売所だ。
海鮮丼とホタテ&イカの焼き物を頂く 焼き物は好みの皿を取り、各テーブルでセルフで焼くスタイルだ。
すばらしい味と食感の海鮮丼 TVや情報誌に紹介されるような高級食材山盛りではないが、日ごろ食べている魚とは身の具合、味の濃さがまったく違う。 イカはイカだし、ハマチはハマチの味と歯ごたえがする 当たり前のことだが 『とても大切なコト』と想う。
刺身と焼き物で辛口・甘口と醤油を使い分けられるのも、海の町ならではの気配りだ
大粒でレアーなホタテはたまらないモノがある。
 直売所でも、お店の漁師さんがその場でさばいてくれる。 きときと(地元の方言で=活き活き)を味わうコトができる
さっそく甘エビを頂く 何もつけずに 『ぱくっ』

伝統の造りかまぼこは、カラフルな色と言い、成形と言い 芸術の粋に達している。
 
【れすとらん航海灯】で頂きました 『ごっつぉさまな』

甘エビ¥90/尾ナリ

甘くって ぷるんぷるん

此方は現役の酒蔵

清水・共同洗い場

前名寺の清水

 生地の街角には沢山の清水(ショウズ)が湧く 水の味は どこも悪くは無い しかし、数箇所巡って 『もう、いいや』と思う。
疲れもあるだろうが、それよりも〔観光向けに管理された風〕であまり自分の好みではない。
富山湾が一番美しく見える町・生地 機会があれば、次回は雪降る時期に訪れてみたい。
 『石田までは歩こう』 キラキラ光る富山湾を右横に据え、防波堤沿いを進む。

黒部市

おぼろ立山

電鉄石田駅

富山地方鉄道本線
 石田の海水浴場 水着の人々で賑わう側を山のかっこで歩く
黒部フイッシャリーナの桟橋を渡り海上に立つ 暑さも少し収まってきた 風が吹き抜け心地よい
生地の灯台が遠くに見える 海からの立山も薄っすらとだが観ることができた。
電鉄石田駅は、レトロで懐かしいたたずまい 走る電車もブリキのおもちゃのようでかわいらしい ここから滑川へ列車で移動する。

滑川
 滑川で、ホタルイカと夕陽を求め一旦列車を降りて漁港に向かって歩く
 「食べてみられぇ ホタルイカ」 の宣伝文句が書かれた看板がある
浜言葉なのにどことなく上品なのは、早くから開け、京の文化に近いためか…

 そもそも、日本海側を「裏日本」と負のイメージで呼ぶのは、日本の歴史から見れば、つい最近のコト。
縄文や出雲 記紀の時代から大和、京になっても、越や東北との海上交通や大陸との交流など、日本の原点は日本海側だったのだ。
 しかし、ホタルイカミュージアムはもう閉館の時間が迫っている。
あきらめ裏手の海岸で入膳で汲んだ湧き水でcoffeeを点てる
沸かす事により、一段と“まろやかさ”が増す水 抽出されたcoffeeは濃い
美味しいcoffeeと綺麗な夕陽に満足
 舗装路の歩きは、平地とは言え、山行と違う箇所が痛む
入膳から15km 『歩きすぎだ』 痛んだ足の裏をマッサージする
駅に戻り、今度はJRで富山に向かう。

富山
 富山は自分にとって好きな街のひとつだ。 駅前は、かつての素朴さは失なわれ、高層ビルが立ち並ぶ大都市になってしまったが、それでもどこかおおらかで、〔観光目的ではない文化〕が根付く街 歴史や自然環境、そこから生み出されたモノ などなど、興味は尽きない。
 今回は日も暮れてしまったので駅の周囲を散策する。
『まずは腹ごしらえ』と、駅前から歩き出す。 すぐに富山ブラックと大きく書かれた ラーメーン屋さん
さっそく頂く。 大・中・小のシンプルメニュー 小〈¥600〉を注文 出てきたラーメンは簡単に紹介するなら 『男らしい~』
太いストレート麺に濃いしょうゆスープ、刻みチャーシューを山盛りに、塩メンマと粗引きブラックペッパー。 千葉の竹岡ラーメンに通じるモノがある。 疲労したカラダにショッパサがたまらない。

【大喜】の富山ブラック

Pageant

富山の夜景

タレント はなさんがProduce
 富山県庁前の噴水が、七色にライトアップされ、市庁舎タワーと一緒に観ると海外の公園のよう
今回の水を巡る旅のフィナーレが、〔水と人が織り成す美しいモノ〕であったコトに喜ぶ。
 市庁舎タワーの展望台に向かう。 -夜も開いていて、見学無料- 視界の無いエレベーター ドアが開くと、『おぉ』 と地上70mからの富山の夜景が広がる。 遠い海上を行く船や、能登半島の曲線の灯が瞬いている 今度は視界ある昼間に立山連峰を観るのもいいなと思う。

桜橋

富山の街の主要交通

白とろろ & 黒とろろ

ボンネットスタイル 急行能登
 街に飾られた彫刻やガラス作品を鑑賞しながら桜橋まで歩く。 長崎生れの自分は、路面電車が走る街を訪ねると、懐かしさを覚える。
 帰路は【急行 能登】を選択
JR急行 能登/F 7時間 富山23:00→06:05上野〈¥8,930〉
寝台でもなく、新幹線より時間はかかるが、対面シートにすれば足を伸ばせて休めるし、安いし、もうすぐ廃列車になりそうだし…
相変わらず、がらがらでした 一車両に5人ぐらいの乗客
 駅弁屋さんはすでに閉まっていたので、夜食はとろろ昆布のおにぎりを駅のコンビニで購入 『これまた驚くほど旨い!』
列車が越後に入るころには眠りに落ち、翌早朝、大宮までは熟睡でした

感 想
 今回の旅は、標高3000mの北アルプスから 海抜0mの日本海へ向かった山行を含め、まさに『水巡り』
山に積もった雪は、山での行動を左右する水瓶であったし、それは、時として雲を生し展望を奪うコトもある。
山の水が、平野を作り上げ、自然や人間の暮らしを支る。『 あの時、潤いを与えてくれた、あの湧き水には感動した。』
海にも富をもたらした水は、雲となり再び山に戻る 壮大で完璧な循環システム。 ヒトが人間らしい生活を創めたのも大河の流域と言う。
水の惑星 地球。 しかし、淡水(氷ではなく液体)は地球上の水の僅か0.01% これなくして多くの生命は暮らせない。

【The sea of jadeite】
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